藤原定子をわかりやすく2分で解説【光る君へ】博識で聡明な悲劇の才媛

藤原定子

藤原定子とは

藤原定子 (ふじわら の さだこ / ていし) は平安時代中期の女性で977年に生まれた。
2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では俳優(女優)の高畑充希さんが藤原定子の役を演じられる。
父は関白・内大臣となった藤原道隆でその長女。
母は高階成忠の娘・高階貴子。
兄弟に藤原伊周、藤原隆家らがいる。

母・高階貴子は漢詩や漢籍の教養を備えた歌人だったため、藤原定子は漢学の素養もあの「まさに絵に書いたような才色兼備」の女性へと育ったようだ。


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990年、藤原定子は14歳の頃に一条天皇(11歳くらい)に入内し、まもなく女御、次いで中宮となった。
天皇の正室を中宮(ちゅうぐう)と呼ぶため、「中宮定子」とも称されるが、藤原定子の居所は登華殿だったとされ、登華殿または梅壺とも呼ばれた。
<注釈> 本来皇后の別名だった中宮を、皇后と分離させて藤原定子のポジションとして与えた。

993年頃から清少納言が藤原定子に仕えている。
そして、兄・藤原伊周が貴重な紙を献上すると、中宮・藤原定子は「これに何を書かまし」と言い、清少納言は宮仕えの体験など、「春はあけぼの」で始まる「枕草子」(日本最古の随筆)の随筆を開始した。
藤原定子のもとでは流行の最先端を行くサロンとして華やかなものとなったようだ。
なお、、清少納言は不幸な運命をたどった藤原定子の事ではなく、笑顔で幸せだった頃の藤原定子の話を残したとされる。

父・藤原道隆は藤原氏の氏長者として、関白・摂関家として君臨していたが、一条天皇の母・藤原詮子は藤原道長を次の関白へと画策。
藤原道長は一条天皇に娘・藤原彰子(しょうし)を入内させると中宮とし、藤原定子を「皇后」とすることで、一人の帝に二人の実質的な皇后が生まれ対立構造ができた。

995年、関白である父・藤原道隆が死去し、叔父・藤原道兼も急死すると、その弟・藤原道長と兄・藤原伊周が権力を争うことになった。
しかし、996年、兄・藤原伊周と弟・藤原隆家が花山法皇に矢を放った罪で左遷され政権争いに破れる。

当時懐妊していた藤原定子は内裏を出て里第二条宮に入っており、二条宮にて兄・藤原伊周と弟・藤原隆家を匿った。
ただし、一条天皇の命により捜査され、藤原定子は自ら落飾して出家している。


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997年、中納言・平惟仲の邸宅にて藤原定子は脩子内親王を出産。
その後、兄・藤原伊周らの罪は許され、一条天皇は再び藤原定子を宮中に迎え入れている。
999年、一条天皇の第一皇子・敦康親王を出産。

また、1000年暮れ、藤原定子は第二皇女・媄子内親王を出産したが、翌日に崩御した。24歳。
陵墓は鳥辺野陵(とりべののみささぎ)とされている。

媄子内親王(びしないしんのう)はその後、藤原詮子(東三条院)の養女となったが僅か8歳くらいで亡くなっている。
<注釈> 藤原定子の妹(藤原道隆の4娘)・御匣殿(みくしげどの)のもとで姉兄と共に育てられたともされる。

一条天皇も藤原道長の策略の前に、藤原定子の忘れ形見・敦康親王を皇位につけることができず、政治からも遠ざけられていく。


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中宮定子の辞世の句は「夜もすがら 契りしことを忘れずは 恋ひむ涙の色ぞゆかしき」

紫式部の「源氏物語」に登場するの主人公・光源氏の母・桐壺更衣は、藤原定子がモデルだったともされる。

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