三好清海入道(みよしせいかいにゅうどう)は、真田十勇士に登場する人物で、実在した戦国武将・三好政康がモデルとされている。
三好政康と三好清海入道
三好政康(みよし-まさやす)は、細川晴元の家臣。
一族の三好長慶と争ったが、和睦したあとは、三好長慶や松永久秀と共に戦い戦功を挙げた。
三好長慶が死去すると、甥・三好義継の後見役の1人となり、三好長逸・岩成友通と共に「三好三人衆」と呼ばれている。
1565年5月19日、三好三人衆は室町幕府13代将軍・足利義輝の御所を襲撃すると殺害。
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しかし、主導権を巡って、松永久秀と三好三人衆は対立。
摂津の池田勝正や淡路の安宅信康の協力も得て、劣勢となった松永久秀は織田信長を頼った。
1568年9月、織田信長が足利義昭を擁立して上洛すると、三好義継と松永久秀らは織田家に臣従したため、三好三人衆は織田信長と敵対する。
9月29日に勝竜寺城と淀城が落とされると、山城木津城から三好政康も逃亡した。
以後の動向は余りよくわかっておらず、阿波で死去したともされるが詳細は不明。
伝承によると身長2m近い巨漢であったとされ、真田十勇士の三好清海入道も巨漢として描かれる。
また、知名度が高い人物であったため、猿飛佐助や霧隠才蔵に次いで、良く三番手として登場することがある。
真田十勇士としては、弟として三好伊三入道も登場する。
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