三好政勝と三好伊三入道(真田十勇士)


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 真田十勇士三好伊三入道(みよし-いさ-にゅうどう)は、兄・三好清海入道と共に、真田昌幸真田幸村親子に仕え、上田籠城戦や大坂の陣で活躍したとされる。大坂城が落城した際に自害した。

 この三好伊三入道のモデルは三好政勝と考えられている。

 三好政勝は、三好氏傍流の摂津 榎並城主・三好政長の子で、1536年に誕生したとされる。

 1544年5月、主君・細川晴元の勧めで父・三好政長が隠居し、嫡男であった三好政勝に家督が譲られた。
 しかし、形ばかりの隠居で、父・三好政長は引き続き細川晴元に従って参戦していた為、本家・三好長慶を始め周囲の反発を招いていたと言う。

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 1547年、舎利寺の戦いでは父・三好政長と共に、三好政勝も一緒に参戦。
 細川晴元と三好本家・三好長慶が対立する中で、1548年10月、三好長慶が細川晴元と父・三好政長に反乱を起こした為、三好政勝は摂津榎並城に籠城。
 三好長慶によって榎並城は包囲され、1549年6月まで持ちこたえたが、父・三好政長の救援が失敗し、江口城で抵抗した父・三好政長をはじめ高畠長直・平井新左衛門・田井源介・波々伯部左衛門尉ら800人ほどが討死。
 三好政勝は榎並城から逃亡し、一時、行方をくらまし、細川晴元も13代将軍・足利義輝と共に京都に逃亡した。(江口の戦い)。

 三好政勝は、讃岐の香西元成や、丹波の波多野晴通と通じ、三好長慶と徹底的に戦った。

 1551年3月、足利義輝の刺客による、三好長慶暗殺未遂事件が起こると、混乱に乗じて香西元成と共に京都に侵入するも撤退。
 1551年7月、再度入京して相国寺に立て籠もったが、三好長慶の部将・松永久秀・松永長頼の兄弟に相国寺を焼き討ちされ逃亡した(相国寺の戦い)。

 1553年、細川晴元と足利義輝が結託し、三好長慶に挑んだ際は、7月に香西元成と共に入京。8月、足利義輝らが霊山城を三好勢に落とされ、再度近江へ逃げ出すと、三好政勝は9月に丹波に進出して八木城を落とし、城主・内藤国貞を討ち取った。
 しかし、松永長頼に八木城を奪回されると姿をくらました。

 1564年、三好長慶が病没すると、三好本家は若年の三好義継が継ぎ、松永久秀と三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)が後見役となった。
 そして、三好政勝も三好一族として三好義継に仕え、よく補佐したと言う。

 織田信長が上洛すると、三好三人衆や三好康長らと共に、和泉の織田勢の城を攻めたり、将軍・足利義昭の本圀寺を攻めたり(本圀寺の変)と反・信長戦線に加わっている。しかし、織田勢に敗れ阿波に退却した。

 1570年7月、三好政勝は阿波から渡海して中島天満森に着陣し、野田城・福島城の戦いに参戦した。
 しかし、8月28日に、織田信長に降伏し、続く叡山攻囲戦には織田勢として参加している。
 なお、織田信長からは、9月20日に摂津豊島郡を与えられたが、1572年6月、伊丹親興との領地交換で、旧領・榎並を回復した。

 1572年、松永久秀・松永義継と細川信良の抗争を起こすと、松永勢に味方して、織田信長が庇護していた細川信良を攻めた。
 その後、しばらく史料上から三好政勝の名が消える事になる。
 一緒に行動を共にしてきた香西越後守(香西元成の後継者?)は、本願寺顕如に味方して1575年に討死しているが、本願寺側の武将に三好政勝の名前は見当たらない。

 しかし、明智光秀による本能寺の変で、織田信長が横死すると、豊臣秀吉に仕えたとされ、次に史料に登場するのは1592年の文禄の役となる。
 肥前名護屋の本丸番衆を務める馬廻に「三好為三」と言う名が見受けられる。
 三好政勝の法名は「為三」である為、三好為三は三好政勝であると考えられている。

 豊臣秀吉の死後は、1600年に徳川家康に仕え、関ヶ原の戦い後は旗本として河内三郡の内で2020石を領した。

 1604年には、因幡守に任官し、大坂の陣にも参戦。
 河内国の道案内で功績をあげたと表彰され、鷹狩の許可を得た上茶器を与えられるなど厚遇された。

 その後は、徳川秀忠の御咄衆となり、1631年12月10日に没した。96歳の長寿を全うしたと言う。

 実際には、三好政勝は大坂の陣も徳川勢として参加しており、真田幸村とは縁はなかった。
 戦に敗れても復活し、主君を変えて生き残った術は、真田の生き残り術とも同じ、しぶとさである事と、真田幸村と側室・隆清院(豊臣秀次の娘で、三好吉房の孫)の間に生まれた三好幸信が、江戸時代には亀田藩に仕えていたことから、三好の2人がモデルとなり、真田十勇士の1人・三好伊三入道の設定になったものと推測できる。

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