森坊丸(もりぼうまる)の本名は森長隆(もりながたか)と言い、1566年に金山城主・森可成の4男として生まれた。
兄に森長可、森蘭丸(森成利)がおり、弟に森力丸(森長氏)、森忠政がいる。
1570年、宇佐山の戦いにて、父・森可成が討死したため、兄・森長可が13歳で家督を継いだ。
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兄・森蘭丸同様に、頭が良かったようで、間違いなく伝達する能力にも優れ、織田信長の小姓として仕え、連絡係としては優秀で、家臣らが言っていたことも、ためらわず織田信長に報告していたと言う。
1582年、明智光秀の謀反により「本能寺の変」となると、兄・森蘭丸同様に織田信長に最後まで付き従い、本能寺で高橋惣左衛門に討ち取られた。享年17。
墓所:阿弥陀寺、可成寺(岐阜県可児市)。
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