中山勝時 ~徳川家康の叔父で『ごんぎつね』のお殿様~

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矢勝川の彼岸花

中山勝時とは

中山勝時(なかやま-かつとき)は、戦国時代の武将で、尾張の大名である水野家の家臣として仕えていました。
愛知県は数多くの戦国武将を輩出していますが、有名な童話にも登場するのにも関わらず、なぜか知名度は低い武将、中山勝時を紹介したいと思います。

中山勝時の先祖は桶狭間から北崎一帯(桶狭間の戦いの中心地)を支配していましたが、勝時は刈谷城主である水野忠政の娘を娶り、水野家の知多半島制覇に協力する事になります。

天文12年(1543年)水野忠政の跡を継いだ息子の水野信元は、坂部城の久松氏と手を組み、尾張・宮津城の新海氏を降した勢いでそのまま南下し、榊原主殿が守る岩滑(やなべ)城を落城させ、義弟の中山勝時を岩滑へと配します。
翌天文13年になると、水野信元は今川氏と絶縁し、織田家へ寝返ります。
この時、松平広忠に嫁いでいた於大の方は今川氏と松平氏の関係から離縁され、幼い家康を松平家に残して兄の信元が支配する刈谷へと戻る事になり、天文16年(1547年)には坂部城主・久松俊勝へと再嫁しています。


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少しややこしくなったと思いますので、簡単な系図を用意しました。
徳川家康にとって、中山勝時は母方の叔父で親戚になる訳です。
中山勝時系図

岩滑の地を得た中山勝時は、岩滑城の西方に中山城を築き、一帯の支配強化に努めていきます。

永禄3年(1560年)駿河遠江の大名、今川義元が京へ向けて進軍を開始しますが、織田信長によって桶狭間の戦いで討ち取られてしまいます。
この時、大高城に兵糧を運び込んだ徳川家康(この時点では松平元康を名乗っていますが、ここでは家康に統一させて頂きます)は勝ち誇る織田軍を突破して岡崎城へ帰還。
その後は今川家から離反し織田信長と同盟を結び天下人へとなった事は有名ですが、桶狭間からどのルートで三河・岡崎城へと戻ったかには諸説あるようです。
今川軍と共に敵中を突破し、東海道を東へと突き進んだと言う説が一般的ですが、母の於大の方が再嫁した久松俊勝と、叔父の中山勝時を頼って知多半島を南下し、現在の半田市亀崎あたりから船で対岸の三河へと渡った説も存在しています。


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家康南下説に関わるエピソードとして、有名な物の一つに「徳川家康も喜んで食べた 蜂蜜 生せんべい」があります。
このエピソードは生せんべいを製造販売されている(株)総本家田中屋さんのHPにも記載されていますが、要約すると

桶狭間の戦いで今川義元に加勢した徳川家康は母のいる坂部城から岩滑城へ向けて南下。
矢勝川を渡った時は昼近くで疲労と空腹の最中でした。
とある百姓家の庭先に干してあるせんべいを目にした家康ですが、まだ生だったせんべいを美味しそうに食べたと言う事です。

元々が桶狭間一帯を支配していた中山氏ですから、配下の者を徳川家康の陣営に送り込み、人目に付かないように水野家の勢力範囲へ移動させたと考えると辻褄は会いますが、あくまで想像の範囲。
これからの研究が待たれる所と言えるでしょう。

その後も水野家の有力武将として一帯を支配し続けた中山勝時ですが、天正10年(1582年)に起きた本能寺の変の際、織田信長と共に討死したと伝わっています(二条城で信忠と共に討死した説も有)
勝時の子である中山盛信は水野忠重に仕えて中山将監と名乗り、水野家が備後福山藩に移封した後は二番家老として、その名前を代々残しています。

また、信盛の系統とは別に、岩滑の地に残った子孫も存在します。
子孫は帰納し地元の名士となり、その末裔で明治時代の人物元若は、近隣に住む新美南吉と家族ぐるみで交流を深め、元若の妻しゑは、まだ幼い新美南吉に中山勝時の話を語って聞かせていたそうです。
後に、童話作家となった南吉は『ごんぎつね』の冒頭に

これは、わたしが小さいときに、村の茂兵(もへい)というおじいさんからきいたお話です。
むかしは、わたしたちの村のちかくの、中山というところに小さなお城(しろ)があって、なかやまさまというおとのさまがおられたそうです。

と記し、中山勝時を「なかやまさま」として登場させています。

中山城跡
※写真は中山城跡に立てられた新美南吉記念館の庭

尾張・中山城は現在の新美南吉記念館近辺にあったと言われ、眼前に流れる矢勝川が堀の代わりをしていたと考えられています。
矢勝川河畔は彼岸花の名所として有名で『ごんぎつね』の中でも登場。


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秋になると多くの観光客が訪れる名所となっており、中山勝時は「なかやまさま」として現在に語り継がれています。

(寄稿)だい

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