水野信元 24万石を有した三河の戦国大名

水野信元


水野信元(みずの-のぶもと)は、三河・緒川城主である水野忠政の次男として戦国時代に生まれました。
母は松平信貞の娘(松平昌安の娘)で、兄に水野近守がいます。
また、1528年に生まれている異母妹・於大の方がおり、1540年頃、松平広忠に嫁ぐと、徳川家康を産んでいます。
1533年、父・水野信元は、新しく刈谷城を築いて、勢力を拡大しており、戦国大名と言えます。
1543年に父・水野忠政の死去すると、水野信元が家督を継ぎましたので、兄・水野近守は庶子だったのかも知れません。
その頃、水野信元は、戦国大名とは言え、織田信秀今川義元に挟まれ、従っていた松平家から織田家に寝返っており、今川寄りの松平家は於大の方を離縁しました。
妹の於大の方は、阿久居の坂部城主・久松俊勝に再嫁しています。


このようにして、水野信元は織田家に臣従する形で、以後、織田信秀・織田信長に協力しして行きます。
まずは、三河に侵攻してくる今川義元への対処を迫られました。
1549年、安祥城を今川勢に奪われ、刈谷城も一時失っていますが、1551年、末森城にて織田信秀が死去すると内紛によって知多半島も情勢不安となりました。
1554年、刈谷城も今川家に包囲され、本拠の緒川城も、今川勢が築いた村木砦から睨まれ、水野氏は孤立しています。
そのため、織田信長は、斎藤道三に援軍を頼むと安藤守就らの軍勢にて、那古野城周辺の警戒をしてもらうと言う、前代未聞とも言える、援軍に本拠を守らせる策にて、織田勢を船にて派遣しました。
緒川城に入って一晩過ごすと、翌日には、鉄砲を駆使した村木砦の戦いに勝利し那古野城に戻ると、礼を言われた安藤守就は、美濃に帰還しています。
こうして、水野家は牛田城の牛田政興、坂部城の久松俊勝、知立城の永見貞英などを配下としましたが、織田信長への従属度は増しました。

1560年、桶狭間の戦いの際には、戦場が家臣・中山勝時の領地と言う事もあり、中島砦には梶川高秀・梶川一秀、丹下砦らは水野帯刀と家臣らが今川勢に備えています。
また、織田税で一番首の手柄を一族の水野清久(水野清重の子)が挙げました。
このときも大高城にいた松平元康(徳川家康)を逃させると、一族の水野元氏(高木清秀の舅)が城を与えられています。


なお、今川勢の岡部元信が、刈谷城の兄・水野信近を討ち取ったとされ、信近の首級と刈谷城を取り戻し、重原城まで勢力を拡大しています。
また、松平元康が重原城に反撃しましたが撃退しました。
その後、松平元康が今川家から独立して岡崎城に復帰すると、1562年には、織田信長と徳川家康の間を水野信元が仲介し、清洲同盟の締結に貢献しています。
その頃、不和になったとされる弟の水野忠重と従兄弟の水野清久が出奔して、徳川家康の家臣となっており、のち刈谷藩主・水野勝成を輩出しています。

1567年頃、子がいなかった水野信元は、亡き兄・水野信近の子である水野信政(水野元茂)を養子にして家督を譲りました。
これは、刈谷領と完全に領地も家臣も統合する狙いがあったものと推測しますが、石高は24万石ともされます。
その後は、織田信長の合戦に幾度も出陣しており、1570年には、姉川の戦いに参じると佐和山城を攻撃しました。
1572年には、武田信玄との三方ヶ原の戦いにて、浜松城の徳川家康を援軍しています。
長島一向一揆長篠の戦いに参加していますが、室町幕府将軍になった足利義昭からは、武田勝頼と協力して信長を討伐せよとの命令書も受けています。

1573年、のちに徳川秀忠の傅役を務める土井利勝が産まれています。


1576年、織田家の佐久間信盛が、武田家の秋山信友と内通したり、兵糧を武田勢に送った疑いがあると織田信長に報告します。
そのため、織田信長から命を受けた徳川家康は、三河・大樹寺に、水野信政と水野信元を呼びつけると、平岩親吉によって暗殺されました。
このとき、案内役をした久松俊勝は「徳川殿を深く怨む」として出奔しました。
夫を失った於大の方と子らは、徳川家康が引き取っています。

その後、水野家の領地は佐久間信盛に与えられています。

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