初沢・高乗寺と小宮山民部、忌野清志郎さんのお墓?【八王子市高尾】





高乗寺城山の由来にもなっている高乗寺は麓の谷戸にあります。

行って見て驚いたのが、きちんと整備されていて、なかなか立派な寺院だったことです。

高乗寺は、1394年3月に片倉城主・長井道広(永井高乗(永井大膳大夫高乗、長井広秀)とも?)が開基となり、臨済宗の名僧・法光圓融禅師・峻翁令山大和尚が創建したとれされます。

俊翁令山は秩父の出身で、42歳の時に塩山・向嶽庵に赴き、臨済宗の名僧として知られるようになり、長井氏に招かれると、広園寺、高乗寺、光厳寺を開山したと言われています。
長井氏は毛利家の一族ですので、高乗寺の寺紋は毛利家の一文字に三ツ星紋です。



当初は谷戸のもっと奥にあったそうですが、辺鄙だと言う事で現在の場所に移り、のちに曹洞宗に改め、1505年に通庵浩達大和尚が中興開山したとされます。

1559年、火災により焼失しましたが、1575年に、武田家の遺臣・小宮山民部が大本堂を寄進して再興された?とあります。
これは高乗寺に文書として記録があるようなのですが、そもそも1575年の戦国時代に、この初沢の地が武田家の所領とは思えません。
しかし、武田信虎の重臣である小宮山昌清(1490~1550年)の次男に、小宮山民部昌照(小宮山昌照)なる武将も見受けられます。
ただし、1575年当時、高乗寺の場所は、小田原城主・北条家の所領であり、八王子城主・北条氏照の時代でして、武田家は武田勝頼織田信長徳川家康長篠の戦いとなった年ですので、武田家臣が高尾に流れてきたと言う事でもないと思います。

高乗寺

ちなみに、八王子で小宮山民部と言うと、武田の旧臣で、八王子の代官となった大久保長安に仕えた小宮山清四郎が「民部」を確かに名乗っています。
この小宮山清四郎は、金山も管理していた大久保長安によって、佐渡金山の代官として派遣された武将で、娘は千人頭の原胤従や河野通玄に嫁いでいます。
しかし、八王子に来たのは、武田滅亡の1582年以降と考えられますので、1575年に高乗寺に寄進したとは考えにくいです。

となると、1575年と言う年代が間違え(記録間違え)で、小宮山民部が寄進したのは、実際には北条家が滅亡した1590年以降であった可能性が高いのでは?と推測致しております。

だいぶ話がそれましたが、徳川家康江戸城に入ると、高乗寺は1592年に寺領10石の御朱印状を賜わりました。

なんでも、太閤・豊臣秀吉の朱印禁制、大久保長安の永木申請状と言った文書も現存するそうですので、戦国時代から注目されていた重要な寺院でもあったことが伺えます。

高乗寺の井戸

なお、新編武蔵風土記稿によると、鎌倉幕府初期の横山党の一族・椚田氏の館跡だったのではと推測しています。

また、太平洋戦争末期には、高乗寺の裏山と、反対側の山と、両側の山に多数のトンネルが掘られた「浅川地下壕」ができ、高乗寺の付近も部品組立工場が多数建っていたそうです。

ちなみに、高尾霊園高乗寺には、イカレていると評判のお墓もあります。
2009年5月2日に58歳で亡くなった忌野清志郎さんのお墓で、ご遺族が建てまして、絶えずファンの方からの献花も添えられているようです。
音楽は素敵だと思いますが、特にファンでもなく、忌野清志郎さんを研究している訳でも無い、小生がお墓をお参りしても、興味本位でしかなく大変失礼ですので、お参りすることまでは控えさせて頂きました。
そのため、写真はありませんので、どんなお墓なのかはお写真を撮られた方のをご覧頂ければと存じます。

ちなみに、元RCサクセション・忌野清志郎さんのお墓は、墓地の中「B区7-2」にあります。
事務所脇の売店で、お供え用の花も買えますので、手ぶらで来ても大丈夫です。

さて、高乗寺への行き方・アクセスですが、JR高尾駅・京王電鉄の高尾駅からは徒歩で25分とちょっと距離があります。
バスは運行されていませんが、土日祝は高乗寺の無料バスが出るそうです。
車の場合には、下記の地図ポイント地点に15台くらい止められます。
忌野清志郎さんのお墓参りをする場合には、もっと奥まで車で進んで霊園の駐車場に止められます。

初沢城への訪問記~地下壕の歴史も感じて散策を
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佐渡金山 失敗しない佐渡金山巡りの攻略法

 

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コメント

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  • コメント (3)

    • daikou
    • 2015年 11月 10日

    八王子城には20回ほど足を運びました。
    来春にはまた八王子城を散策する計画でおりますので、高乗寺へも立ち寄ってみたいと思います。

    • 高田哲也
    • 2015年 11月 10日

    daikouさま、こちらもコメントありがとうございます。
    八王子城、20回とはすごいですね。私はまだ5回くらいしか・・。

    • 永井 勝順
    • 2020年 2月 29日

     「長井氏が毛利家の一族で・・・・毛利家の・・・紋」の箇所は誤解が起こります。この紋は大江氏の代表紋です。鎌倉幕府政所初代別当の大江広元の次男時広(長井氏始祖)は、嫡男親弘(寒河江氏始祖)が承久の変で失脚後、大江氏の嫡流となりました。広元の四男季光(毛利氏始祖)は宇治合戦で執権に敵対し、毛利氏の一族は討たれて滅亡に瀕しました。この時越後に居て合戦に加わらなかった季光の四男経光の命と、領地の安堵に奔走したのが、時広の嫡男長井泰秀でした。結果経光は相模国の毛利庄は失いますが、命と越後国刈羽群佐橋庄南条と安芸国吉田庄を安堵されたのです。経光の子孫に戦国大名の毛利元就(墓は大江元就となっています)が出ます。毛利氏も長井氏も本姓は大江です。同じ「一文字に三星」の大江氏の紋を使うのは当然です。泰秀が動かなければ、毛利氏は滅亡していたのです。嫡流長井氏あっての毛利氏です。
     2022年の大河ドラマでは、三谷幸喜の「鎌倉殿の13人」が放送されます。二代執権北条義時を中心に描かれるようです。大江元就がナレーションとのことです。



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