藤原惟規の解説~歌道に秀でていたが短命だった紫式部の兄弟

太田先生

藤原惟規とは

本項で紹介する藤原惟規(ふじわらの-のぶのり)は、藤原為時の長男として生まれました。生年は天延2年(974年)とする説がありますが明確ではなく、判明している事としては藤原為信の娘が生母で、紫式部は同母の姉妹に当たります。

2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では俳優の高杉真宙さんが藤原惟規を演じられます。

惟規の幼少期で知られているのが、以下のエピソードです。父の為時が彼のために漢籍を説明していると、まだ小さかった惟規は覚えが遅く、また上手く読むことが出来ずにいました。しかし、傍で聞いていた紫式部は難なく理解してしまったため、その様子を見た為時が、
「口惜しう、男にて持たらぬこそ幸なかりけれ(悔しいなあ。この子が男子でなかったのが不幸せだ)」
と嘆いたというものです。

こうした逸話から惟規は“才女の姉とは正反対の凡庸な愚弟”ないしは“妹の引き立て役の地味な兄”として諸作品に登場することが少なくありません。なお、本稿では『日本古典文学全集26』で“式部が惟規より年長だったからこそ、父は式部が男であったならばと嘆いた”とする中野幸一さんの見解ならびに紫式部日記年表を参考とし、弟説を採用します。

歌道に長けた惟規の官歴

惟規は長保6年(1004年)には少内記になっており、3年後には兵部丞と六位蔵人を兼任しています。後者は父の為時も務めた天皇の秘書官的な役職ですが、前者は武官で父とは違う官歴です。その兵部丞に着任していた寛弘5年(1008年)の大晦日に2人の女性が着物を盗まれ、それを見た姉の式部が惟規を呼ぼうとするものの退出していたとする記述が『紫式部日記』に書かれています。

この事件は盗賊ではなく下﨟(身分の低い者)による出来心と言われ、大事には至りませんでしたが、式部は肝心な時にいなかった弟に対して“つらきことかぎりなし(惟規ったら、情けないことこの上もないわね)”と不満を書き記しました。このエピソードもまた、前述した漢籍の一件と並んで惟規が姉や父と比較されて低くみられる原因のひとつと言えますが、寛弘6年(1009年)に式部丞、その2年後には従五位下に補されており、順当に昇進しています。

また、惟規を語る上で欠かせないのが和歌の才能です。漢詩で出世の糸口をつかんだ為時、やはり漢籍に通じて一条天皇の称賛を得た姉のような逸話はないものの、惟規は和歌に優れた人物でした。著名な逸話が『今昔物語集』の“藤原惟規和歌読被免語第五十七”に記されており、惟規は斎院(村上天皇の皇女)に仕える女房のもとに通っていた時、名乗らなかったためにその屋敷に仕える侍衆に怪しまれ、門を閉ざされるアクシデントに見舞われます。その時に斎院の計らいで許された時に彼が詠んだのが以下の歌です。

“かみがきはきのまろどのにあらねどもなのりをせねば人とがめけり(斎院様のお住まいである神垣は、天智天皇の御製にある木の丸殿ではないけれど、名乗らなかったので人にとがめられてしまいました)』

この物語には、斎院と女房のおかげで退出できた折に、天智天皇が詠んだ歌を踏まえた歌を即座に作り上げ、咎められるどころか称賛すら得た惟規の見事な才覚が描かれた歌徳説話として記されています。また、惟規は他にも『惟規集』と言う家集を作り上げており、その文才は決して彼が無能な人物ではなかったことを今に伝えています。

死の床でも潰えなかった歌人魂

歌の才で名を知られ、従五位下の官位まで授かった惟規は寛弘8年(1011年)、越後守になった父に随行して越後へ赴任しますが、そこで病に伏しました。危篤となった彼のために呼ばれた僧侶が来世のことを念じるように言いますが、彼は死者が次の生までの期間を過ごす中有にも嵐に舞う紅葉、風になびく尾花、松虫や鈴虫の声と言った諸々のものはあるのだろうかと聞き、僧侶をあきれさせてしまいます。そして、臨終を前にした惟規は筆と紙を手にすると、以下の歌を記して事切れたのでした。

“みやこにも わびしき人の あまたあれば なほこのたびは いかむとぞおもふ(都にも恋しい人が多くいるので、この度は生きて帰りたく思います)”

“旅”と“度”の掛け言葉を盛り込み、望郷の思いを歌ったこの歌は、恋していた斎院の女房を詠んだものとも言われていますが、最後の“ふ”を書き終える前に惟規が息絶えたため、その最期を看取った為時は若くして先立った愛息に替わって最後の一字を書き加えてやったと言われています。

漢才で名高き父、源氏物語の作者として世界的知名度を誇る姉と比較されがちな藤原惟規ですが、地道ながらも官吏として勤勉に務め、そして和歌への情熱と才覚は死の床においても潰えることはありませんでした。歌道に秀でているものの欠点も少なからず抱えた惟規は、誰よりも人間臭い魅力に富んだその生きざまを通して、父や姉と共に王朝文学の世界を今も彩り続けています。

参考文献

『日本古典文学全集26 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』 小学館
『日本古典文学全集35~38 今昔物語集』 小学館

(寄稿)太田

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