藤原宣孝(紫式部の夫)を1分でわかりやすく解説【光る君へ】

藤原宣孝(紫式部の夫)

藤原宣孝とは

藤原宣孝(ふじわら の のぶたか)は、平安時代中期の貴族で権中納言・藤原為輔の子だが生年は不詳。
母は藤原守義の娘。
兄に藤原惟孝、藤原説孝がいる。

2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」では、俳優の佐々木蔵之介さんが藤原宣孝の役を演じられる。


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家系は藤原北家の高藤系で、右大臣・氏原定方の曾孫に当たる。
父・藤原為輔も若い頃は蔵人だったことから、藤原宣孝も六位蔵人兼左衛門尉としてはじめ円融天皇に仕えた。
<注釈> 蔵人(くろうど) とは天皇の秘書(執事)的な役職で、天皇の膳を給仕することもあり、毎日出仕して働く下級役人の事。

藤原宣孝は紫式部の夫として知られるが、藤原宣孝じたいには妻が4名いたことが見受けられる。

最初の妻は藤原顕猷の娘で、973年に藤原隆光を産んだ。
2人目の妻は平季明の娘で、藤原頼宣を出産している。
3人目の妻は藤原朝成の娘で、985年に藤原隆佐、その他、明懐(興福寺別当)を設けた。
そして4人目の妻が藤原為時の娘・紫式部で、結婚は998年(長徳4年)の末か、翌999年(長保1年)のはじめと考えられる。
そして、999年頃に藤原賢子を産んだ。
その頃、藤原宣孝は「宇佐使」となって九州の宇佐神宮へ数ヶ月間出張したが、これに紫式部は同行していないようなので、身籠っていたか?、出産直後だった可能性もある。

紫式部の父・藤原為時も見六位蔵人式部丞から出世した下級貴族であり、藤原為時と藤原為輔(藤原宣孝の父)はいとこであり、藤原宣孝と紫式部もいとこと言う事になる。

藤原道長藤原頼通父子の代になると藤原氏は摂関政治の最盛期を極める。
紫式部は996年に越前守になった父・藤原為時とともに北陸に下り997年に京に戻ると、父の同僚であった山城守右衛門佐の藤原宣孝と結婚したと言う事になる。

1001年、紫式部より20歳以上年上だった藤原宣孝は流行の疫病にて卒去。
最終官位は正五位下・右衛門権佐。


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紫式部集には「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」と、夫・藤原宣孝の死去に伴い詠んだ和歌が収められている。
その紫式部集には、夫・藤原宣孝との恋愛や死別、また宮仕え時代など、ほぼ全生涯にわたる和歌が厳選して収められているようだ。

そして、結婚生活3年あまりだった紫式部は夫の死後から「源氏物語」を書き始め、娘の藤原賢子(大弐三位) を育てた。

なお、平安時代中期では、藤原氏と言う名の貴族が約70%いたと考えられ、わかりにくいことお詫びをしたい。
藤原氏の祖は飛鳥時代の中臣鎌足(藤原鎌足)。

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