佐々政次 (佐々隼人正) 佐々清蔵 佐々家の嫡流

佐々政次 (佐々隼人正)




佐々政次(さっさ-まさつぐ)は、1522年頃に生まれたと考えられる戦国時代の武将です。通称は佐々隼人正です。
父は佐々成宗(佐々盛政)ともされ、弟に佐々政次、佐々孫介、佐々成政、佐々長穐?、佐々信宗などがあります。
姉・妹には、丹羽氏次の正室、山田重国の正室、前野吉康の正室(佐々直勝の母)がいるようです。

佐々家は尾張・井関城主を務めており、元々は織田信安の家臣だったようです。
1539年8月、織田信秀に仕えるようになり、1542年などには三河国での小豆坂の戦いで弟・佐々孫介と戦功を挙げ、小豆坂七本槍に数えられています。


しかし、1560年)、桶狭間の戦いにて、佐々隼人正は討死してしまいました。
織田信長が善照寺砦に入ると、千秋季忠と共に今川義元の軍勢に突撃し、討死しています。
なお、佐々政次 (佐々隼人正)の長男・佐々清蔵がまだ幼かったようで、稲生の戦いにて佐々政次・佐々孫介も討死していたことから、佐々家の家督は4男の佐々成政が継ぎ、比良城主となっています。

佐々政次 の長男・佐々清蔵は、成長すると織田信忠の小姓となり、のち、佐々成政の娘・佐々輝子を妻にして、佐々家を背負う予定になった模様です。
しかし、明智光秀本能寺の変の際に、織田信忠と二条城におり、槍を持って奮戦するも討死しています。

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査・研究している歴史人物研究家です。
自慢できるものはありませんが、資格は史跡訪問のための国内旅行地理検定2級、水軍研究のための小型船舶操縦士1級など。

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コメント

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  • コメント (1)

    • ゆるゆる富山遺産
    • 2020年 6月 07日

    内浦純一さんは地元が舞台の映画【♯放生津カンタータ】にも出演されます。去年は花王リセッシュ「デオドラントパワー」のシー出演されました。民放のバラエティ番組にもゲスト出演してほしいです。

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