三条西実澄 (三条西実枝) の解説 三条西公国の父

三条西実澄 (三条西実枝)

三条西実澄 (さんじょうにし-さねき) は、戦国時代の公卿で、織田信長の推挙により大納言に任じられ、和歌に秀でる歌人でもありました。
父は右大臣・三条西公条 (さんじょうにし-きんえだ) で、母は、甘露寺元長の娘になります。
和歌は、実隆卿記などで有名な祖父・三条西実隆と、父から学んだようです。
朝廷に出仕すると、参議や権中納言などを務め、1541年(天文10年)には権大納言となりました。
妻は、吉田兼満の娘と、正親町三条公兄の娘も見受けられます。


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1559年には、駿河の今川義元、1569年には甲斐の武田晴信、1571年には、伊勢の北畠具房へのもとにと、精力的に出張もしました。

引き続き正親町天皇に従いましたが、1572年(元亀3年)に職を辞します。
しかし、1574年に復帰すると、三条西実枝と改名しました。
1577年、内大臣となっていた織田信長の後押しで大納言に就任しています。
1579年(天正7年)1月には、内大臣に任ぜられましたが、2日で辞任して出家すると、その2日後に、三条西実枝(三条西実澄)は死去しました。享年69。

なお、三条西家に代々伝わる古今和歌集の解釈を、弟子の細川藤孝細川幽斎玄旨)に初学一葉を与え、古今伝授 (こきんでんじゅ) しました。
また、三条西実枝の娘が、稲葉一鉄(稲葉良通)の正室になっています。
稲葉一鉄の娘・安は、斎藤利三春日局の父)の継室で、斎藤利三は、明智光秀の重臣に加わっています。
そして、黒井城にて、斎藤利三と、安の間に生まれた娘が「春日局」(お福)です。


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正親町三条公兄の娘が、1556年に産んだ、三条西公国 (さんじょうにし-きんくに) がいます。
1582年(天正10年)、本能寺の変により、斎藤利三が処刑されたあと、成人していたお福(春日局)は、母方の親戚に当たる三条西公国が、匿って養育しました。
そして、お福は、書道・歌道・香道等の教養を身につけたと言う事になります。
三条西公国は、1587年(天正15年)、内大臣までのぼり詰めましたが、同じ年の病没しました。
のち、三条西公国の実子になる三条西実条 (さんじょうにし-さねえだ) が、武家伝奏・内大臣となり、江戸時代の1623年には徳川家光に将軍就任の内示を与えています。

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、伊呂波太夫を通じて、明智光秀と正親町帝(おおぎまちみかど)の間を取り持つ、重要な役として、俳優の石橋蓮司さんが演じられます。

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