放浪の関白・近衛前久と織田信長や徳川家康らとの親交


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近衞前久(このえ-さきひさ)(近衛晴嗣、近衛前嗣、近衛前久)は、朝廷に実権が無い事を憂いていたとされ、関白・従一位でもありながら、越後の上杉謙信と仲良くなると、1560年、自ら越後に赴いた。
そして、そのまま1561年には三国峠を越えて、上野や下野も訪問して、上杉謙信の関東平定を手助けすると言う、公家にしてはかなり行動力がある豪胆な人物でもあった。
その後、危険を顧みず、2年間も古河城に滞在し、小田原の北条氏を牽制しつつ上杉謙信に情勢を報告するなどした。

1568年、織田信長の手を借りた足利義昭が将軍に就任すると、足利義輝が殺害された事件の際に、近衛前久と二条晴良が関与していたのではと疑われた。
そのため、近衛前久は朝廷を追われて、黒井城主・赤井直正や、石山本願寺本願寺顕如を頼った。
しかし、近衛前久はもともと織田信長には敵意が無かった事から、1573年に足利義昭が追放されて毛利家を頼ると、1575年、織田信長の奏上により帰洛を許された。

これ以降、鷹狩りという共通の趣味もあったことから、織田信長との親交は深まり、1575年9月には、織田信長の要請を受けて九州に下向すると、大友氏・伊東氏・相良氏・島津氏との和議交渉を行った。

1577年、京都に戻ると、今度は織田信長と本願寺顕如との調停も行い、1580年、石山本願寺の降伏にこぎつけている。
このように、織田信長が10年掛かっても降伏しなかった、石山本願寺に対する功績は非常に評価され、織田信長は「天下平定の暁には近衞家に一国を献上する」と言う手紙を送っている。
1582年3月、甲斐の武田勝頼を討つべく出陣した甲州征伐にも、織田信長に同行し木曽路を通って甲府まで行った。

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しかし、1582年6月2日、明智光秀による本能寺の変にて織田信長が横死。
禁裏の必要性を認めなくなってきた織田信長に不信を抱き、本能寺の変を陰で操った黒幕とする説もある。

織田信長の死に際には、失意のうちに近衛前久は落飾して「龍山」と号したが、明智光秀勢が近衛前久邸に招き入れられて本能寺を銃撃したとの噂が流れ、織田信孝や羽柴秀吉からも尋問を受けた。
そのため、以後は徳川家康を頼って浜松に下向している。

1583年、徳川家康の取り成しで、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の誤解も解けて、京都に戻ったが、今度は、1584年に小牧・長久手の戦いで、徳川家康と羽柴秀吉が衝突したため、再び立場が危うくなり、近衛前久は奈良に一時潜んだ。

1585年7月11日、豊臣秀吉が近衛前久の猶子となって、関白宣下を受けた。

1586年には、娘・近衛前子が豊臣秀吉の猶子となって、後陽成天皇の女御(おにょご)となっている。

晩年は銀閣寺がある慈照寺東求堂を別荘として隠棲。
1587年には草津温泉にて湯治もしている。

近衛前久の子・近衛信尹は、幼い頃より父と共に地方を巡ったり、織田信長の小姓らとも親しかったことから、武士に憧れていたとされ、1592年の朝鮮の役では、後陽成天皇の制止も聞かず、朝鮮半島に渡海するため肥前・名護屋城に赴いた。
その後、1594年に薩摩・坊津へと3年間の配流となっている。
父・近衛前久も薩摩を訪れていた経緯があり、島津義久からも厚遇を受けていたようで、京から召喚状が届いても、あと1~2年いたいと返書を送っているほどである。
1600年の関ヶ原の戦いの折には、撤退中にはぐれた島津家の家臣らを、一時京にて保護し、無事に薩摩へ帰国させている。
また、島津家と徳川家との交渉も仲介した。

1603年に徳川家康が征夷大将軍になる際には、藤原姓から源姓への改姓にも、近衛前久と近衛信尹は大きく関わった。

近衛前久は1612年5月8日に薨去。享年77。
墓所は京都東福寺。
法名は東求院龍山空誉。

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