安倍晴明とは~日本の呪術師史上トップクラスの陰陽師

安倍晴明

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「陰陽師」と聞いて何を思い浮かべますか?
きっと多くの人が、不思議な術を使って、妖怪や悪霊を退治する術使(超能力)を思い浮かべるのではないでしょうか。
陰陽師で最も有名なのが平安時代に活躍した安倍晴明

フィギュアスケーターの羽生結弦選手が晴明をテーマにしたプログラムを披露したのは記憶に新しいですね。
漫画や映画など多くの作品で、主人公やキャラクターとして登場することもある晴明ですが、実際はどんな人物だったのでしょうか?
今回は陰陽師 安倍晴明について紹介します。

安倍晴明って?

安倍晴明(あべの-せいめい)は、平安時代の延喜21年(992年)、父・安倍益材の子(諸説あり)として下級貴族の家に生まれました。・・・実は晴明、出生してから40歳になるまでの記録が残っていません。
では40歳の時は何をしていたかというと、天文得業生(てんもんとくごうしょう)という天体の観測をする学生でした。


40歳でまだ学生ということは、なかなか出世できない不遇の人生を送ったのかもしれません。
今では「陰陽師=安倍晴明」が一般的ですが、晴明が活躍するまでは加茂氏という別の家が陰陽師を世襲していました。
晴明もその加茂氏から陰陽道を教わっています。
そんな事情もあってか、活躍するチャンスが巡ってこなかった晴明。
陰陽師になったのは47歳の時でした。
 陰陽師になってからは一変。その活躍は目覚ましく、それまで全くと言っていいほど残っていなかった晴明の記録が、ここから多く見られるようになります。
例えば、正暦4年(993年)には当時の天皇・一条天皇が病気になった際、禊(お祓いの一種)をした所、天皇はあっという間に回復し、晴明は正五位上に叙されています。
また寛弘元年(1004年)には雨乞いをして、ずっと続いていた干ばつから都を救いました。その後も天皇家や一条天皇の外戚である藤原道長をはじめとした貴族のために働きました。
ここで驚くことが1つ。晴明が生きた平安中期の男性の平均寿命は35歳と言われているのですが、雨乞いをした年の寛弘元年の晴明の年齢はなんと84歳!
晴明は当時の平均寿命をはるかに上回っているのです。現代の日本人男性の平均寿命は80歳なので、それも上回っていることにもなりますね。
安倍晴明は寛弘2年(1005年)に85歳で亡くなりますが、なんと亡くなる数か月前まで仕事をしています。
正に生涯現役の人生だったのです。

そもそも陰陽師って?

ここまで晴明の生涯を紹介しましたが、実際の陰陽師がどんなことをしていたかご存知ですか?
映画『陰陽師』では野村萬斎さん演じる晴明が術を使って、鬼を退治する場面が印象的ですが、あれはフィクションの世界。史実の陰陽師はどんなことをしていたのでしょうか。
陰陽師とは、宮廷の総務を担当した中務省(なかつかさしょう)の中の、陰陽寮での役職のことを指します。
そう…なんと陰陽師は国家公務員だったのです。ちなみに定員は6人と定められていました。
晴明が活躍した平安時代は華やかな貴族文化が花開いた一方で、都には飢饉や疫病が発生していました。華やかに見える宮廷も裏ではドロドロの権力争いも…。
また当時は「物の怪」の存在が信じられていて、都での飢饉や疫病は全て「物の怪」の仕業だと考えられていたのです。
そこで人々が救いを求めたのが仏教や陰陽師でした。
陰陽師は中国の陰陽五行説に基づいた陰陽道でお祓いや祈祷、吉凶占いをした他、天文や暦、時間の管理も行いました。
お祓いや祈祷の仕事は現代の私達が持っているイメージと遠からずといったところですね。
天文・暦・時間はイメージとちょっと違いますが、これらは占いを行う際の重要な要素であったため、切り離せない分野でした。

今に伝わる晴明伝説

安倍晴明にまつわる伝説は数多く残っています。
例えば、晴明の出生にまつわる伝説。晴明の母親は明らかになっていないのですが、「葛の葉」という狐の妖怪を母親とする伝説が残されています。
この伝説は江戸時代に歌舞伎として上演され、人気を博しました。ライバルであった蘆屋道満との術合戦の話も残されています。
他にも子供の頃に百鬼夜行を見た話。式神を使って自宅の扉を開閉させた話。
政敵にかけられた道長の呪いを見破った話。
木の葉で蛙を殺した話など、その伝説は現代まで語り継がれています。
天皇家や当時の権力者であった藤原道長に重用されたこと、そして当時としては驚異的な長寿が晴明をここまで伝説化させたのかもしれませんね。


晴明を祀る晴明神社

現在の京都府上京区晴明町にある晴明神社はその名の通り、晴明を祀った神社です。
一条天皇が晴明の死後、その偉業を讃えるために彼の屋敷があった場所に建てました。
怨霊以外の人間が神様として祀られるのはとても珍しいことです。
境内には晴明の像や晴明が従えていたかもしれない(?)式神の像、晴明の念力によって湧き出た井戸などがあります。

華やかな貴族文化の裏側で都に蔓延していた疫病、そして宮中で起きていた貴族たちの権力争い…。
そんな不安定な時代を生きる平安貴族たちの心の支えに、晴明はなっていたのかもしれません。

(寄稿)中みうな

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中みうなWebライター

投稿者プロフィール

歴史学科卒業。専攻は明治の外交・文化、お雇い外国人など。
日本キリスト教史や出島などの長崎の歴史も。
2017年よりライターとして活動。日本の歴史を中心にWebメディアで執筆。歴史初心者の方にもわかりやすく、印象に残る記事を目指しています。

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