遠山景行と上村の戦い~美濃・遠山氏の存亡をかけて


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戦国時代に東美濃の明知城主であった遠山氏を追ってみました。

遠山景行(とおやま-かげゆき)は、美濃(恵那)・明知城主である遠山景成の子として1509年に生まれました。別名は遠山与助です。
ただし、別説では明智光継の子とする説もありますが、1543年頃までには、明智遠山氏の家督を継いだようです。
正室は三河広瀬城主・三宅高貞の娘となります。

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なお、遠山景行の子とも、兄・遠山景玄の子ともされますが、1540年に遠山利景が誕生しました。

1552年に、土岐明智家の明智定明が、弟・明智定衡に殺害されると、御嵩城主の小栗信濃守が、土岐明智氏の居城・高山城を攻めようとします。
この時、遠山景行は甲斐・武田氏の援助を受けて、美濃の小里城主・小里光忠らとともにが反撃しました。
小里光忠(おり-みつただ)は、1534年に小里城を築城していますが、土岐氏の庶流です。

そして、遠山景行の娘を嫡子・小里光次の正室に迎えていたので、明知・遠山景行と連携したと言う事になります。

こうして、遠山景行(遠山惣四郎)と小里光忠(小里出羽守光忠)は、小栗信濃守の御嵩城を攻め落とし、小栗信濃守は自害したとされています。

1555年頃からは、遠山景行と小里光忠は、他の遠山氏同様に武田信玄に臣従しましたが、明知遠山家を含めた遠山家は、美濃に勢力を伸ばしてきた織田信長にも接近しました。
特に、岩村城城主・遠山景任が病死すると、織田信長は5男・坊丸(織田勝長)を送り込んだため、遠山一族は武田と関係が悪化します。

1570年に嫡男・遠山景玄が死去したのち、1572年、武田信玄の西上作戦で、飯田城主・秋山信友が2500にて岩村城をはじめ、苗木城、明知城などの攻略を受けました。

このとき、遠山景行は家臣の門野高助、門野磯之助と共に出撃し、小里光忠・小里光次、苗木遠山氏・遠山友勝、飯羽間遠山氏・遠山友信ら美濃勢2500、東三河の奥平九八郎、足助城の鈴木越後父子、菅沼氏らの三河勢2500の援軍を得て美濃国恵那郡の上村にて秋山信友(秋山虎繁)と対決します。
下記は上村の戦いがあった主戦場となる、上矢作町の前田砦を望む写真。

1572年12月28日、上村の戦いとなり、明知遠山氏の遠山景行、串原遠山氏の遠山右馬助、吉村氏(千旦林城)の吉村源蔵らは奮戦するも力及ばず討死・自刃。
他にも討死した武将は、串原経景(串原右馬介経景)・渡辺新左衛門、そして、小里光忠、小里光次(小里遠山内記)も討死しました。

遠山景行(遠山相模守景行)は5~6騎で落ち延びましたが自刃したとされます。享年64。

なお、恵那郡史では、遠山景行(遠山友治)は、天正二年(1574年)2月、明智城での武田勝頼との戦い(明知城の戦い)にて討死としています。

墓は恵那市明智町杉野の安住寺に、永禄4年(1561年)に亡くなった妻・安住尼の墓と共にあります。
と言う事で、安住寺さんにお参りして参りました。

安住寺にある遠山景行の墓と安住尼の墓ですが、本堂の右手から、本堂の裏にある裏山方面(杉木立の中)に入っていくとありました。
ちょっとわかりにくいです。

美濃・安住寺がある場所ですが、かなり寂しいところでした。

なお、子の遠山利景が建立した龍護寺にも遠山景行の墓があります。
下記写真の左が龍護寺・遠山景行の墓です。

家督は、遠山景玄の子・遠山一行が継ぎ、遠山利景が還俗して後見しました。

龍護寺は明知城の下にありますので、セットでどうぞ。

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