荒木村次(尼崎城主)は荒木村重の嫡男、そして次男・荒木村常


スポンサーリンク
スポンサーリンク

荒木村次は、有岡城主・荒木村重の嫡男で、生年は1561年頃と推定。
母は、伊丹家の家臣団(伊丹市北河原)である、北河原長勝(北河原三河守長勝、北川原長勝)の娘とされる。

この北河原長勝は、伊丹城主・伊丹親興?の第一の家臣であったが娘が荒木村重に嫁いでいた為、茨木城主・荒木村重と伊丹親興が争うようになると、北河原長勝は疑いを掛けられた。
そして、伊丹親興は重臣・野間勘太夫と計って、北河原長勝を一族ともに追放したようだ。北河原長勝は、猪名寺(伊奈寺)に籠って抵抗したが、1574年3月中旬に伊丹親興の攻撃を受けて北河原長勝は討死。


生き延びた北河原一族は、娘の嫁ぎ先であった荒木村重を頼り、その後、1574年11月に、荒木村重は伊丹城を攻めて、伊丹親興は自害。荒木村重は伊丹城を大改修し「有岡城」と改名し本拠地とした。
伊丹親興の子・伊丹忠親は、明智光秀による本能寺の変のあと、羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕え、その後、黒田長政に仕えて関ヶ原の戦いで討死している。

だいぶ話が逸れたが、荒木村次は正室に明智光秀の養女(娘とも)の倫子(革手)を迎えており、尼崎城主(大物城)を任されたようだ。
1578年に、父・荒木村重が織田信長に反旗を翻すと、荒木村次は尼崎城にて籠城。

1579年9月、父・荒木村重が荒木村次の尼崎城に逃亡した。

なお、荒木村重の次男・荒木村常は北河原氏の北河原親忠(北河原与作)に養育されたとされるが、母や生没年は不明。
この北河原与作の妻は、荒木村重の重臣・瓦林越後守の娘で、織田信長により有岡城が落城した際には、荒木村重の妻(継室?側室?)・だし らと共に、六条河原で処刑されている。北河原与作の妻は17歳だった。

このように有岡城が落城した際には、荒木一族は妻子まで処刑されたが、その中に、荒木村次や荒木村常の名は含まれていないので、父・荒木村重と共に行動していたものと考えられる。

荒木村重らは12月中に尼崎城を抜け出して花隈城に移動し、しばらく籠城。
しかし、1580年3月2日と、7月2日の花隈城の戦いで、荒木村重は大河原具雅、荒木元清、瓦林越後守らと共に奮戦するが、池田恒興池田元助池田輝政に敗れると、毛利氏のもとに亡命した。
恐らく、荒木村重と荒木村次・荒木村常も共に毛利を頼って逃亡したと考えられ、この頃に荒木村次は明智光秀の娘・倫子と離別。倫子はのち、明智秀満の正室になった。

2年後の1582年6月に、明智光秀による本能寺の変で織田信長が亡くなると、逃亡生活から解放された。


荒木村次は、羽柴秀吉に許されて家臣に迎えられ、1583年に柴田勝家と戦った賤ヶ岳の戦いに参戦。
しかし、足を負傷した後遺症で、以後戦場で活躍する事ができなくなったようで大阪に住んだ。のち徳川家康家臣となるも38歳で死去。(没年不明)
弟・荒木村基も羽柴秀吉の御伽衆となり、剃髪して道薫と名乗っていたとも、負傷で合戦に出れなくなった兄・荒木村次の代わりに豊臣秀吉に仕えたともある。(没年不明)

尼崎城が復活 4重天守が400年ぶりに蘇る
有岡城(伊丹城) 伊丹駅前に残る城跡と伊丹親興も
明智倫 (明智倫子、お倫)~明智光秀の長女
摂津・大物城(尼崎古城) 大物崩れの舞台
中川清秀 荒木村重傘下の有能な武将
岩佐又兵衛~荒木村重の生き残った子供で浮世絵の先駆者
高山右近~60000石になったキリシタン大名
池田和泉守~日本で初めて鉄砲自殺したとされる荒木村重の重臣
有岡城(伊丹城) 伊丹駅前に残る城跡
花隈城 花隈城の戦いと荒木元清

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!

スポンサーリンク
スポンサーリンク

関連記事

あなたの思いを下記にどうぞ

  1. この記事へのコメントはありません。

 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1. 阿南姫(おなみひめ)は、米沢城主・伊達晴宗の長女として1541年に生まれた。兄に岩城親隆、弟に伊達輝…
  2. 竹林院(ちくりんいん)の生年は不明。 本名は利世(りよ)、安岐姫ともあるが、小説などでの創作名であ…
  3. 瀬名(せな)とも言う築山殿(つきやまどの)は、今川家一族の駿河持船城主・関口親永(関口刑部少輔)(ま…
  4. 淀殿をご紹介する記事では、できる限り中立的な立場にて記載したつもりですが、父・浅井長政や、母・お市の…
  5. 稲葉一鉄(いなば-いってつ)は、土岐頼芸の家臣・稲葉通則の6男として、1515年に美濃池田の本郷城に…

人気の戦国武将

  1. 5歳の時に疱瘡に掛かり、一命は取り留めるものの右目を失った梵天丸。 米沢にて虎哉和尚や片倉景綱に鍛…
  2. 遠藤直経(えんどう-なおつね)は、近江の須川城主・遠藤主膳の子として1531年に生まれました。通称は…
  3. 1535年7月23日、伊作城(本丸を亀丸城と呼ぶ)にて島津義弘が誕生。父は島津貴久で、次男として生ま…
  4.  戦国時代最大とも言われる山岳戦となった三増峠の戦い。  武田信玄が勝利したとも、北条氏照が勝利し…
  5. 稲葉一鉄(いなば-いってつ)は、土岐頼芸の家臣・稲葉通則の6男として、1515年に美濃池田の本郷城に…
 スポンサーリンク

戦国グッズ通販

実際に鉄板も使用した本物志向「高級」甲冑型の携帯ストラップ
甲冑型ストラップ

戦国浪漫グッズ
戦国武将グッズ

自作甲冑キット新発売
甲冑自作キット
戦国浪漫「戦国グッズ」通販

メールでお知らせ

新規記事追加をメールで受信

ページ上部へ戻る