明智倫 (明智倫子、お倫)/明智きし~明智光秀の長女

明智倫(明智倫子)は明智光秀の三男四女の長女であるが、本当に「お倫」と言う名であったかは不明。
大河ドラマ「軍師官兵衛」では、女優・石橋杏奈さんが演じた「明智倫」としてここではご紹介したいが、2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」では、明智きし(明智岸)と名付けられている。
本当の名前は、伝わっていないため、いずれも、ドラマ側で、名付けた名前と言える。

「嫡女ハ、永禄十二年ノ冬、十六歳ノ時、明智左馬助光春に妻アハセリ。」と、江戸時代に発刊された明智軍記に記載されているが、明智倫(明智岸)は最初、明石城主・荒木村次(父は荒木村重)に嫁いだ。

しかし、有岡城主・荒木村重が謀反を起こし、織田信長と敵対したことから、明智光秀が松井友閑らと荒木村重を説得に出向いた際、明智倫は離縁して明智家に戻ったと考えられる。

その為、織田信長による荒木一族の処刑も免れた訳だが、後に、明智倫(明智きし)は明智左馬助と再婚した。


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この明智左馬助は、明智秀満(あけち ひでみつ)であると推定され、それが確かだと明智一族の重鎮であるが、元は三宅氏(遠山氏?)と名乗っていた可能性がある。
そのため、明智倫(明智岸)と結婚させて、明智家に婿入りさせた可能性も捨てきれない。
いずれにせよ、明智倫を迎えて、明智姓を名乗り、文書的には1582年4月に確認できている。

明智秀満は、明智光秀の家臣として、1581年には丹波福知山城代となり、明智光秀が織田信長を討った本能寺の変では先鋒となって京都本能寺を襲撃した。
羽柴秀吉との山崎の戦いでは、安土城の守備をしていたが、山崎で敗戦との知らせを受けて、後詰めとして出陣し、大津で堀秀政と戦った。しかし、敗れて坂本城に籠城。
その後、明智光秀が亡くなったと言う報が入ると、覚悟を決めた明智秀満は、明智家が私利私欲の為に謀反をしたのではないと、城内にある財宝を集めて堀秀政に提出。
そして、1582年6月15日の夜、明智光秀秘蔵の脇差を差したまま、明智光秀の妻子、並びに自らの正室・倫子を刺し殺(又は介錯)して、自ら坂本城に火を放って自害したとされる。

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