二条晴良(にじょう-はるよし)は、戦国時代の公卿・二条家の14代当主となり、1526年に生まれました。
父は関白・従一位にもなった二条尹房(にじょう-ただふさ)で、母は九条尚経の娘・九条経子です。
父・二条尹房は、1545年から、次男・二条良豊と共に、周防の大内義隆を頼って山口に滞在しています。
その間、二条晴良は、内大臣、右大臣。左大臣をへて、僅か23歳にて関白・藤氏長者となりました。
藤氏長者(とうしのちょうじゃ)と言うのは、藤原氏一族全体の氏長者(リーダー)のことを言います。
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二条晴良の妻は、伏見宮貞敦親王の娘・位子女王で、子には二条昭実、鷹司信房、九条兼孝、三宝院義演がいます。
1551年、陶晴賢の反乱「大寧寺の変」に巻き込まれて、父・二条尹房が殺害されています。享年56。
1553年、二条晴良は関白を一度辞任しますが、1556年、准三后となり、織田信長が京都に入ると再び関白となりました。
1570年、足利義昭の命を受けて、織田信長と浅井長政・朝倉義景連合軍との調停を務め、和睦を成立させています。
そのお陰で、織田信長は岐阜城に戻ることができたと言っても良いでしょう。
しかし、その将軍・足利義昭も、織田信長によって追放されて、鞆の浦に逃れました。
また、1576年、織田信長は二条邸(押小路烏丸殿)を報恩寺に移転させ、その跡地を自らの屋敷としています。
1578年、二条晴良は関白を辞任し、後明珠院と号すと、子の九条兼孝が、関白・藤氏長者となっています。
翌年1579年、二条晴良は死去しました。享年54。
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なお、旧二条家の屋敷は、1582年、明智光秀の本能寺の変の際に、織田信忠が滞在していたようで、焼失しています。
2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、関白・近衛前久の座を狙っている設定で、俳優の小藪千豊さんが、演じておられます。
・足利義昭とは 外交手腕に優れた最後の室町幕府将軍
・近衛前久 放浪の関白で織田信長や徳川家康らと親交も
・摂津晴門の解説 室町幕府の政所執事として将軍権力回復に尽力
・織田信長と言う人物に迫る~【織田信長】の性格・人柄は?
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