酒井家次 古参の譜代名門で徳川四天王筆頭の子



酒井家次(さかい-いえつぐ)は、1564年、酒井忠次の嫡男として生まれた。
母は正室である松平清康の娘・碓井姫(徳川家康の叔母)。
この頃、父・酒井忠次は徳川四天王のひとりとされ、徳川家康の重臣として活躍しており、小原鎮実を破って、吉田城主となっている。
兄弟には本多康俊、小笠原信之がいる。



酒井家次(酒井左衛門尉家次)の幼名は小五郎で、幼いころから徳川家康に仕えたとされ、1575年、武田勝頼との長篠の戦いにも父と共に参戦。

1588年に父・酒井忠次(62歳)が隠居すると、25歳で家督を継ぎ、1589年には、従五位下宮内大輔となった。
正室は榊原政吉の娘。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めでは、本多忠勝榊原康政平岩親吉鳥居元忠大久保忠世井伊直政と七組で徳川家の先鋒を務めた。
徳川家康が関東に移封となり江戸城に入ると、下総国臼井に37000石(4万石とも)を与えられ、下総・臼井城主となっている。

なお、この時の酒井家の約4万石は、本多忠勝、榊原康政、井伊直政らよりも半分以下の評価であったため、父・酒井忠次は徳川家康に抗議をしたと言う。
しかし「お前でも我が子が可愛いか」と言われ、酒井忠次は引き下がったとされる。

1600年、石田三成との関ヶ原の戦いでは、中山道を徳川秀忠に従って進み、上田城の戦いにて真田昌幸勢とも戦うが、この時、酒井家次の軍勢は、真田勢を城壁まで追い散らす活躍したとされる。(軍記違反をし撤退したともされる。)
また、与力に朝比奈常陸泰朝という武将が見受けられる。

1604年、酒井家次(41歳)は上野・高崎藩5万石に加増・移封されて、高崎城主となると、内政と兵農分離を進めた。

1614年、大坂冬の陣では、譜代大名の先頭を進んで上洛し、大坂城の東側にある黒門口に陣を敷いたが、大坂城の堅い守りに阻まれて、目だった武功は挙げれなかった。

1615年、大坂夏の陣では激戦となった天王寺・岡山の戦いにて、天王寺口第3陣の大将を任され、敵首31を挙げた。
しかし、真田信繁(真田幸村)ら豊臣勢の猛攻を受け、天王寺口は崩されて、酒井家次(52歳)も敗走している。


1616年、越後・高田藩10万石に加増移封されたが、これは徳川家臣の譜代では屈指の大身でもあり、徳川秀忠の信頼も厚かった事が伺える。

1618年3月15日に死去。享年55歳。
家督は長男・酒井忠勝が継ぎ、1622年には138000石となっている。

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