飯尾連竜とお田鶴の方・椿姫【女城主】椿姫観音

飯尾連竜とは

戦国時代曳馬城主である飯尾連竜(いいお-つらたつ)は、今川義元に仕えていた。
飯尾致実(いいお-のりざね)と文献に記載されている場合もある。
お田鶴の方(椿姫)や椿姫観音と共にご紹介したい。

飯尾連竜(飯尾連龍)の父は飯尾乗連とされ、駿河飯尾家は代々今川家の家臣であった。
2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」では、俳優の渡部豪太さんが演じるのが飯尾連龍。

1560年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、跡を継いだ今川氏真に引き続き仕えたが今川家は弱体。


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犬居城主・天野景泰と天野元景の父子、二俣城主・松井宗恒らが今川家を離反する動きを見せ、1563年に飯尾連竜も徳川家康に内応する。

また、犬居城攻め(社山城攻め)に出陣した井伊直平が、飯尾連龍(飯尾備前守)の妻・お田鶴の方(椿姫)によって、毒茶で暗殺されたとされる。
そのため、1564年、怒った今川氏真は新野親矩と式部之規の3000を送り、曳馬城(引馬城引間城)を攻撃させた。

しかし、今川勢は朝比奈泰能、瀬名親隆、瀬名氏範、朝比奈秀盛らの奮闘も空しく、曳馬城を落すことができず、飯尾連竜と和睦すると退いている。
なお、この曳馬城の戦いでは、新野親矩、三浦正俊、井伊家重臣・中野直由や、飯尾家でも重臣らが討死したとされている。

1565年12月、今川氏真は飯尾連竜(飯尾豊前守)を駿府に呼び寄せると、飯尾連竜は僅かな供と駿府城に入ったところを、今川氏真の命を受けた新野左馬助(新野親矩)によって謀殺されたと言う。
なお『武家事紀』では1565年12月20日に、駿府において逗留先の屋敷を兵100に囲まれて、飯尾連竜が切腹したとあり、死については諸説ある。
飯尾連竜の長男も命を落としたとする説もある他、襲撃した新野左馬助(新野親矩)も討死したともされる。

浜松東照宮

お田鶴の方

2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」にて、俳優(女優)の関水渚さんが演じられるのが「お田鶴」。

椿姫とも呼ばれるお田鶴の方(おだつのかた、おたつの方)は、駿府で命を落とした飯尾連竜の妻で継室とも推測できる。
蛇塚由来記によると、小笠原鎮実の娘として1550年に生まれたが、徳川家康が1567年に攻めると討死した為、お田鶴の方は母や侍女らと遠信の山奥へ落ちのびたとされる。
ただし、小笠原鎮実と言う武将は不明瞭な点が多い為、吉田城主・小原鎮実(おはら-しずざね)のことを誤記した可能性があると考える。
この小原鎮実は、徳川家に内応した宇津山城主・朝比奈真次を攻略したが、1568年に徳川家の酒井忠次に反撃されて宇津山城は落城し、小原鎮実は逃亡・行方不明となっている。

もうひとつの説としては父は鵜殿長持(上ノ郷城主)で、母は今川氏親の娘(今川義元の妹)とされる。
この場合、鵜殿長照、鵜殿長忠、西郡の局(徳川家康の側室)が兄弟とにる。

いずれにせよ、やがて椿姫は飯尾連竜の妻となった。
そして、1563年9月18日には井伊直平に毒茶を飲ませたとされているので、まだ未成年である妻・お田鶴は、今川家から命を受けていた可能性もあるだろう。

お田鶴の方は、無双の強力で飯尾連竜が1565年に命を落とした際に、奮戦したともされるが、この真偽のほどは不明。

その後の椿姫(お田鶴の方)については色々な諸説があるので、混同しやすく非常に分かりにくいが、総合すると下記のように感じる。

1565年12月20日、曳馬城主である夫の飯尾連竜が駿府にて非業の死を遂げると、飯尾連竜の家臣・江間時成(江間加賀守)と江間泰顕(江間常陸守)が曳馬城(ひくま)を守ったが、椿姫(お田鶴の方)も大いに関与したものと推測できる。

しかし、江間時成が徳川家康に従属しようと考えたため、秋山信友の仲介で武田信玄に服従しようとした江間泰顕の家来・小野田小次郎によって江間時成は殺害されてしまう。
椿姫(お田鶴の方)と江間時成は、武藤喜平衛(真田昌幸)を頼って、武田家に内通したともある。

このように椿姫(お田鶴の方)は、第5代・卑馬城主として数えられる事もあり、井伊直虎同様に「女城主」ともされる。

徳川家康は1568年12月24日に松下常慶、後藤太郎左衛門を使者としてお田鶴の方に降伏を促したが「おめおめ城を開きて降参するは妾の志にあらず」として拒絶。
飯尾家危急の際、救援に来なかった徳川家康にも、引馬城を攻めて夫を死に追いやった井伊家にも恨みがあったのだろう。

このようにお田鶴の方は、曳馬城(引馬城)を850にて守っていたが、1568年12月25日に徳川家康に攻め込られて城兵も200余りが討死。
酒井忠次と石川数正によって二の丸、三の丸に攻め込まれると、お田鶴の方は兵や侍女18名(17名とも)と共に全員で討死したと言う。
また、お田鶴の方は鎧を着て、髪を垂れ、薙刀をふるって侍女17人と共に並んで、門から突撃し全員討死したともある。

なお、徳川勢も300が討死したと記述されている。
この曳馬城の戦いは1568年12月25日の事であった。

この話を聞いた築山御前(徳川家康の正室)は、お田鶴の方の最期に声をあげて泣いたとされ、お田鶴の方の屍をねんごろに葬ったと言う。


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椿姫(お田鶴の方)の享年18歳と推測されるが、小野道好が横領した井伊谷城が、徳川家康の助けで井伊直虎に戻ったのもこの時となる。

お田鶴の方と侍女18人の亡骸が手厚く葬られた祠は、築山御前(築山殿)が100本余りの椿を植えた後、毎年「椿」が美しく咲いたため「椿姫塚」と呼ばれた。
椿姫という名は、この「椿」(つばき)から来ているようで、お田鶴の方を祀った「椿姫観音」が現在も残っている。

椿姫観音

椿姫観音の場所

昔は10坪ほどの丘であったそうだが、浜松空襲のあとに再建された街の中にポツンとある小さな観音堂のため、下記の地図を良く見て訪問願いたい。
駐車場はないのでコインパーキングなどを利用したい。

1570年、徳川家康は武田信玄の侵攻に備えるため、本拠地を岡崎城から曳馬城(引間城)へ移した。

引馬城の詳細に関してはこちら
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