三好実休(三好義賢)~日本で初めて鉄砲で撃たれて討死した大将?

三好実休(三好義賢)

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三好実休(みよし-じっきゅう)は、1527年?に、三好元長の次男として生まれました。

実休と言う名は法号で、三好義賢(みよし-よしたか)、三好之康と書く場合もありますが、諸説あります。

父は主君・細川晴元と足利義維(堺公方)を擁立して京都を奪還します。
しかし、柳本賢治らと折り合いを悪く阿波に戻ったあと、最後は主君に裏切られて一向一揆の襲撃を受けます。
そして、1532年、三好元長は飯盛山城の戦いの際に、不利となって和泉・顕本寺へ逃げ込みますが、一揆勢に討たれました。享年32。

その後、三好宗家の家督は、兄の三好長慶が僅か10歳で継いでいますが、阿波守護の細川持隆からの庇護も受けました。
この三好長慶、三好実休、安宅冬康、十河一存、野口冬長ら、三好元長の子は、いずれも名将であり、三好氏は大きく飛躍して畿内での実権を掌握するほどの最盛期を築いて行くのです。

兄・三好長慶は、細川京兆家の当主・細川晴元に仕えましたが、三好実休は細川晴元の従兄弟で阿波細川家の当主であったか勝端城主・細川持隆の重臣となりました。

兄の勢力拡大にも大いに協力し、細川晴元と対立する細川氏綱、畠山政国、遊佐長教らに対抗しています。
弟・十河一存が和泉・岸和田城主となると、讃岐も事実上支配下に組み込んで、三好家の四国方面の政治と軍事を担いました。
正室は久米義広の娘とされています。

1549年、細川晴元が三好長慶に敗れて没落すると、弟の十河一存と謀って三好実休(三好義賢)は、1553年6月に、主君であるはずの阿波守護・細川持隆を見性寺にて自害に追い込みました。

そして、細川持隆とその妻・小少将との間に生まれていた細川真之を阿波細川家の当主として擁立し、傀儡政権を作ります。
更には、この絶世の美女と言われた小少将を継室としました。
ただし、この小少将の再嫁は、自身の判断で、権力者の妻になることを本人が望んだことだと言われていますが、逆に強奪したと言う説もあります。

なお、細川家の家臣である久米義広、佐野丹波らが抵抗したため、三好実休は鑓場の戦いで排除し、阿波細川家の実権を完全に掌握しました。

この頃の家臣としては、三好康長(笑岩)、三好盛政 (備中守)、三好盛長。
そして、三好実休の優秀な重臣として篠原長房(岫雲)を筆頭に篠原一族は、篠原長政・篠原実長篠原自遁)・篠原長秀・篠原盛家らがいます。
あとは、小笠原成助(卜閑)、新開忠之(道善)、赤沢宗伝、香西元載(宗心)、海部友光(宗寿)、矢野国村(戒厳)、矢野虎村 (伯耆守)、伊沢長綱、市原長胤、加地盛時、吉成信長らとなります。

そして、兄・三好長慶を助けるため四国勢を率いては参戦し、1560年に河内守護・畠山高政や安見宗房らに大勝すると、三好実休は河内守護を任されました。

しかし永禄5年(1562年)、紀伊の根来衆の支援を受けた畠山高政の反撃を受け、久米田の戦いにて、本陣にいたところを鉄砲に狙撃されて討死しました。享年36。
寵愛の小姓や近習らも多数命を落としたと言われています。

なお、三好実休を討ち取ったのは根来衆・往来右京で、鉄砲で討ち取られた日本初の武将ともされています。(流れ弾とも矢とも諸説あり)


家督は、小少将との間に生まれていた子の三好長治が継いでいますが、細川真之は引き続き傀儡とされました。
小少将は、このあと、三好家を支えた重臣・篠原長房の弟である、阿波・木津城主の篠原自遁の妻となっていますが、三好実休が健在だったころから「不倫」していたともされています。
それがもとで、阿波・三好家は、頼りになる家臣らを失って行き、長宗我部元親に圧迫されていくようになります。

なお、三好実休は武野紹鴎や千利休今井宗久、津田宗達に茶道を学んだ教養人であり、実休所持の「三日月」の茶入など50点もの名物茶器を所有していたとされます。
その多くは、のち、織田信長の手に渡ったようです。

三好実休の墓は、勝端城の本丸跡にある見性寺の墓所にあります。

勝端城~戦国時代には四国で最も栄えた阿波の本拠地
篠原長房~文武に優れ三好家を支えた高名な武将
十河一存とは~十河城主となり武勇を発揮し三好家に貢献した鬼十河
十河存保とは~三好家と十河家の復活に頑張った戦国武将
小少将~四国の大名家を渡り歩いた謎多き美女
板西城と赤沢宗伝~阿波の三好家を支えた実力者
阿波・木津城と篠原自遁の攻防~東条実光も
小笠原成助(一宮成祐)~阿波国主に一時なった有力武将
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