毛利元秋とは~毛利元就には3人どころか10人も男の子供がいた?毛利元秋の墓も

毛利元秋の墓

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戦国大名・毛利元就には、正室である妙玖(吉川国経の娘)との間に生まれた、毛利隆元・吉川元春小早川隆景と言う3人の有能な子がいることは良く知られています。
実際に毛利元就は側室もいて、乃美隆興の娘である乃美大方との間には、穂井田元清、天野元政、毛利秀包(小早川秀包)と言う男子も設けました。
また、三吉氏の娘との間には、椙杜元秋(毛利元秋)、出羽元倶、末次元康、そして、矢田氏の娘とは二宮就辰と言う子も生まれています。

このように子は3本の矢となった毛利隆元・吉川元春・小早川隆景以外にもたくさんおり、実際には10本の矢と言ってもおかしくありません。
今回はそのうちの毛利元秋(椙杜元秋)に焦点を当ててみたいと存じます。

毛利元秋(もうり もとあき)は毛利元就の五男として1552年に吉田郡山城にて生まれました。
通称は毛利少輔十郎。官途は刑部大輔。
母は上記の通り、側室となる備後国・三吉氏の娘です。
三吉兵衛尉広隆、三吉隆亮の妹、又は三吉九郎左衛門の娘と考えられています。

1556年から、毛利元就は防長への攻撃を開始しますが、この時、毛利勢として活躍した武将として周防の国人・椙杜隆康がいます。
この周防蓮華山城主・椙杜隆康(すぎのもり-たかやす)は、大内義隆の家臣でしたが、1551年に陶隆房が大内氏の実権を握ったのを快く思っていなかったようです。
そして、1555年、厳島の戦いで毛利元就が大勝利を収めて、陶隆房が自刃すると、以後は毛利家に臣従しました。

毛利家に対して抜群の働きを示した椙杜隆康には、実子がいなかったことから、毛利元就はまだ幼い毛利元秋を椙杜家の養子に出したため、椙杜元秋と改名したのでした。

1566年に、月山富田城尼子義久を降伏させた毛利家は、最初、月山富田城の城代に福原貞俊、口羽通良を送りますが、1567年には天野隆重が任されています。
この天野隆重も、椙杜隆康同様に大内家から毛利家に寝返った武将ですが、毛利元就からはとても信頼を受けていた名将です。

1568年と考えられますが、天野隆重は月山富田城の城主に椙杜元秋(毛利元秋)を当ててみてはと毛利元就に打診します。
この頃の天野隆重は既に66歳前後だったようで、

1568年6月10日、椙杜元秋(毛利元秋)は3500貫を与えられて、椙杜家の娘とは離縁したようで、1569年1月16日に毛利元秋となって月山富田城に入りました。
なお、富田氏を称したともありますが、このころの毛利元秋は15歳前後で、天野隆重が補佐しました。

月山富田城

その年の6月23日、山中鹿之助(山中幸盛)・尼子勝久らが尼子再興軍として、隠岐から出雲に侵入します。
毛利元秋と天野隆重は、僅か300にて月山富田城に籠城し手薄ながらも尼子再興軍6000に抵抗して守り切りました。

月山富田城からの眺め

1570年には児玉就英が毛利水軍を率いて日本海の制海権を確保すると、尼子再興軍は勢力を縮小。

1575年には吉川元春と小早川隆景が、尼子再興軍最後の砦となった若桜鬼ヶ城を攻略し、尼子再興軍は撤退して織田信長を頼るようになります。

15836月に、毛利元秋が富田城に移った(戻った)とあるため、一時、毛利元秋は羽柴秀吉(豊臣秀吉)の備中高松城攻めに対して、毛利勢として出陣していたとも受け取れますが、1584年3月7日に天野隆重が死去します。
それを追うかのように、天正13年(1585年)5月5日、毛利元秋も月山富田城にて病死しました。享年34。

毛利千満丸と言う子がいたようですが、まもなく早世したため、遺領は同母弟で、出雲末次城主になっていた末次元康(毛利元就の8男)が引き継いでいます。

毛利元秋は、月山富田城からもほど近い、宗松寺に葬られました。
現在、その宗松寺は廃寺となっていますが、現在でも地元の皆様によって毛利元秋の墓だけは、その宗松寺跡にて手厚く保護されています。

道路から山の斜面に入っていき、道なりに進んでいくと、その中腹にあります。

毛利元秋の墓

道路から歩いて3分くらいの距離ですので、遠くはありません。

毛利元秋の墓

毛利元秋の墓への行き方・アクセスですが、当方オリジナルのGoogleマップにて、場所をピンポイントでしるしさせて頂いております。

厳島の戦い~戦国時代の三大奇襲戦と宮島の宮尾城と勝山城
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