中野直由・中野三孝・中野直之・中野直久・松下一定【井伊家の一族で家老職を務めた中野家】

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井伊直平(井伊修理亮直平)の叔父が中野氏(中野家)を称した井伊一門で、中野直村の子である中野直由(中野越後守直由、中野信濃守直由)が、NHKの大河ドラマ「おんな城主・直虎」にも登場する。(はずである)

この中野直由は、桶狭間の戦いにて討死した井伊直盛(井伊直虎の父)が、万が一の時には井伊谷を頼むと、井伊家存続のため後見役を託していたとされる。
要するに、幼い直政に代わり中野直由(中野越後守直由、中野信濃守直由)が井伊谷城代を務めた。

1564年9月15日、井伊家は今川氏真の命を受けて、井伊直政を保護していた新野親矩(新野左馬助)と共に中野直由は引馬城主・飯尾連竜を攻めたが、新野親矩と共に天間橋で討死した。(引馬城攻め)


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中野直由の子・中野直之はそのまま井伊家の家臣になったようだ。
妻は奥山親朝の娘・清光院とある。
井伊直親の遺児である井伊直政が徳川家康に謁見する際、井伊直盛の妻・祐椿尼の命を受けて井伊直政に同行して浜松城に赴いた。
そして、井伊直政を支えた中野直之は彦根藩家老となり、1605年6月14日に死去。

その嫡男である中野三孝(中野三信)も、井伊家の家老として1500石になっている。
なお、中野直之の次男は、井伊直政の生母である奥山朝利の娘(奥山親朝の娘とも?)が再嫁した、松下清景(松下源太郎)の養子となって松下一定と改名し、同じく井伊直政の家老となった。

すなわち、井伊虎松(井伊直政)は、母の再嫁先である松下清景(松下源太郎)の養子となっていた。
しかし、井伊家の家督を継ぐ立場となり、後継ぎがいなくなった松下家の養子として、中野直之の次男もしくは弟とされる中野直久(大河ドラマ「おんな城主直虎」での登場名)が、代わりに松下家の養子になると言うことだ。
この中野直久が松下一定と同じ武将と言う設定になるのであろう。

のち、井伊直政の長男・井伊直継(井伊直勝)が1615年2月に改易され、彦根から安中藩3万石として移ると、中野直由の妻が安中藩の菩提寺として井徳山・龍潭寺の建立を、家老・松下一定に願い出ているのが見受けられる。

なお、松下一定は1641年6月23日に没した。享年68歳で、法名は正覚院傑堂天英居士。
松下一定の子は松下高冬であったが、父が亡くなる前年の1640年4月9日に先に亡くなっていた。

なお、井伊谷・龍潭寺の井伊家墓所近くに、井伊家臣の墓として中野氏の墓もある。
※ページトップ写真も

中野氏の墓

中野氏の墓は、初代・中野直房、2代・中野直村、3代・中野直由、4代・中野直之と記されている。

大河ドラマ「おんな城主 直虎」キャスト・出演者一覧リスト
松下源太郎とは~井伊直政の母が再嫁した松下清景と井伊家の関係
奥山親朝とは~奥山朝利と娘・しの【井伊家一族】奥山六左衛門と奥山孫一郎も
井伊直盛とは
井伊直虎についての詳細はこちら
井伊直政をわかりやすく解説【どうする家康】井伊の赤鬼の異名を誇る徳川四天王
桶狭間の戦い「わかりやすく解説」現地写真あり~桶狭間古戦場跡・桶狭間合戦
井伊直虎ゆかりの地を観光するお勧めスポット【おんな城主・直虎】

コメント

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  1. カルミア

    はじめまして。
    高崎市箕郷町東明屋の龍門寺を本日訪れ、
    お寺の奥に
    宝篋印塔型の巨大なお墓がありました
    隣は松下源太郎さんのお墓と分かりましたが、
    巨大なお墓がどなたのものかわからず
    戒名で検索したところ、
    この素敵なブログに辿り着きました。
    おかげさまで
    松下一定さんのものと分かり、すっきりいたしました。
    ありがとうございました。
    以前伊勢崎市の天増寺で見た伊勢崎藩主一族のものよりも
    美しいと思い、感動しました。