岩城宣隆(多賀谷宣家) 佐竹家の一族として真田幸村の娘を迎える?

岩城宣隆(多賀谷宣家)


岩城宣隆(いわき-のぶたか)は、1584年に常陸・太田城主である佐竹義重の4男として生まれました。
母は正室・伊達晴宗の娘(宝寿院)です。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めのあとの仕置にて、佐竹氏にも従っていた下妻城主・多賀谷重経が、徳川家康の子・結城秀康の家臣になるよう命じられます。
これに不満を唱えた多賀谷重経は、佐竹家に従う行動を取り、勇気秀康に従った嫡男・多賀谷三経を追放しました。
このため、佐竹義重は佐竹義宣を多賀谷重経の養子にし、多賀谷重経には一時、太田城を与えたようです。
このような経緯で、多賀谷宣家(たがや-のぶいえ)と称することになり、多賀谷家の家督を継ぎますが、徳川家によって下妻城は没収されました。


また、1600年、関ヶ原の戦いのあと、多賀谷氏は改易(所領没収)にもなったため、多賀谷宣家は実家の佐竹氏に戻ったようです。
行き場を失った養父・多賀谷重経は、放浪の末、彦根藩の井伊直政を頼りましたが、その後、病死しました。
なお、多賀谷重経の嫡男・多賀谷三経は、結城秀康の重臣として、越前・柿原にて3万2000石となっています。
1602年、長兄・佐竹義宣が出羽・久保田城に減封となると、多賀谷宣家も従い、初めは、仙北白岩城主、そのあと3000石にて檜山城主になりました。

なお、岩城常隆の養子になって岩城家の家督を継いでいた兄・岩城貞隆は、岩城家再興を誓って江戸・浅草で浪人していました。
その後、大阪夏の陣にて本多正信に従って戦功があり、1616年、信濃国中村1万石にて大名に復活します。
その兄・岩城貞隆が1622年に亡くなると、子の佐竹義隆が家督を継ぎましたが、1622年には出羽・亀田城にて2万石となりました。
ところが、佐竹氏の本家を継ぐ予定の佐竹義直が、頼りないとして廃嫡され、代わりに、出羽亀田藩主になっていた佐竹義隆が久保田藩主・佐竹義宣の養子となりました。

そのため、空席となった出羽・亀田藩主に、多賀谷宣家から改名して岩城宣家となり、1628年、2代藩主として岩城家を継ぐことななったのです。
なお、多賀谷氏の名跡は佐竹一門・戸村義国の次男・戸村彦太郎隆経が相続しています。


さて、岩城宣家(岩城宣隆)は、1627年頃、側室に、なほ姫(御田姫・御田の方)を迎えています。
兄・佐竹義宣が京都二条城にて女中をしていた御田の方を見つけて、多賀谷宣家(岩城宣家)の側室にしたともされます。
この御田の方は、大坂の陣にて討死した真田幸村(真田信繁)の5女とされ、豊臣秀次の娘が産んだとされる女性です。
1628年には、檜山城にて嫡男・岩城重隆を産み、後継者になったことから、御田の方は側室から正室(継室)に格上げになったともされます。
なお、岩城宣家が岩城宣隆(岩城但馬守宣隆)と称するようになるのは、1634年からとなります。

1643年には、山形藩主・保科正之が、会津藩に転封となった際、戸沢政盛・六郷政勝と共に山形城の受取を務めています。
1656年、家督を嫡子・岩城重隆に譲って隠居すると、1672年に亡くなりました。
享年89と言う長寿です。

佐竹義重 毛虫の兜をかぶった常陸の猛将
佐竹義宣 なんとか戦国時代を乗り切った律義者の世渡り
岩城貞隆とは
檜山城 広大な檜山安東氏城館跡 紅葉の様子も
たか・隆清院(隆性院)と御田姫(なほ)御田の方・三好幸信の生涯
出羽・亀田城(亀田陣屋) 真田幸村の子にも所縁ある亀田藩
真田左衛門佐幸村之墓 秋田・大舘にある真田幸村伝説

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!




関連記事



あなたの思いを下記にどうぞ

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。


気になる戦国女性

  1. 瀬名(せな)とも言う築山殿(つきやまどの)は、今川家一族の駿河持船城主・関口親永(関口刑部少輔)(ま…
  2. 淀殿(よどどの)は1569年に近江・小谷城にて誕生した。 父は浅井長政で、母は織田信長の妹・お市の…
  3. 山手殿は宇多頼忠の娘という説が有力だが、武田信玄の家臣・遠山右馬助の娘とする説もあり、良くわかってい…
  4. 立花誾千代とは 立花誾千代(たちばな-ぎんちよ)は戸次鑑連(立花道雪)の一人娘として筑後(久留…
  5. 石井彦鶴姫は、1541年に肥前・飯盛城主である石井常延(石井兵部少輔常延)の次女として生まれました。…

人気の戦国武将

  1. 北条氏康(ほうじょう-うじやす)は、小田原北条氏の第2代当主・北条氏綱の嫡男として1515年に生まれ…
  2. 田峯城
    菅沼定忠(すがぬま-さだただ)は、田峯菅沼氏である菅沼定継の子となるが生年や母は不詳となる。 この…
  3.  真田幸村(真田信繁)とは?どのような人物だったのか?  真田幸村は1567年に武藤喜兵衛昌幸(の…
  4. 稲葉一鉄(いなば-いってつ)は、土岐頼芸の家臣・稲葉通則の6男として、1515年に美濃池田の本郷城に…
  5.  石田三成の波乱に満ちた生涯について公開されているホームページは多い。ただし、年表式に石田三成を解釈…

戦国グッズ通販

実際に鉄板も使用した本物志向「高級」甲冑型の携帯ストラップ
甲冑型ストラップ

戦国浪漫グッズ
戦国武将グッズ

自作甲冑キット新発売
甲冑自作キット
戦国浪漫「戦国グッズ」通販

メールでお知らせ

新規記事追加をメールで受信

ページ上部へ戻る