宗格院の石見土手と日吉八王子神社【東京都八王子市】


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京都八王子の千人町にある日吉八王子神社と宗格院をご紹介致します。

日吉八王子神社

まず、日吉八王子神社(上記のトップ写真)ですが、八王子城にある牛頭八王子権現と共に「八王子」の地名の起源であるとも言われています。

元は日吉山王社と呼ばれ、大津・坂本にある山王総本宮日吉大社が本社となっています。
八王子では創建年も古い、940年の創立で國狹槌尊(くにさづちのみこと)が祀られました。

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1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際に、八王子城は陥落しますが、その時、籠城に加わっていた山伏である法印島文坊俊盛が、1595年に八王子明神を勧請して、総鎮守となったと言います。その後、山伏の子孫が代々守ってきたと言います。

江戸時代は山王八王子権現と呼ばれ、明治維新の神仏分離にて、日吉八王子神社と改名しました。

また、昭和20年8月2日の八王子空襲の際には、境内社殿の焼失がまぬがれたそうです。

日吉八王子神社の鮎塚

江戸時代に浅川の鮎を徳川幕府に献上していたなごりから、明治32年に「鮎塚」が建立されました。

日吉八王子神社の場所ですが、下記の地図ポイント地点となります。
北側からも境内に入れますが、駐車場はありませんので、付近のコインパーキングに止める必要があります。
※続いてご近所の宗格院を下部にて・・。

宗格院

宗格院(そうかくいん)は、1593年に、旧武田家の家臣である山本忠玄(山本土佐忠玄)の子・山本忠房の開基で、開山は弟・价州良天によるものです。

1582年、武田家が滅亡したあと、父・山本忠玄と兄・山本忠房(山本彌右衛門忠房)、价州良天は、八王子千人同心の千人頭として八王子に移住しました。
父・山本忠玄の死後、菩提を供養するため宗格庵と称する草庵を建立したと言い、ご本尊は聖観世音菩薩となっています。

なお、山本忠玄(山本土佐忠玄)(1512年生まれ)は山本勘助の「弟」である可能性があります。
山本忠玄は武田滅亡後に徳川家康の家臣となり、1582年8月に北条氏直の家臣・風間孫右衛門を生け捕りした功により、42貫文の領地を賜わり、のち長柄組の頭となっています。
その後、1583年2月15日に亡くなったようで、甲斐の恵林寺に葬られました。
となると、その頃、八王子はまだ北条氏照の領地ですので、父・山本忠玄は八王子には来ていなかったと言えるでしょう。
ちなみに、良天は幼少の頃より恵林寺にて修行していたそうです。

宗格院

江戸初期の八王子代官・大久保長安(大久保石見守長安)により、浅川の氾濫を防ぐため「石見土手」と呼ばれた堤防が築かれましたが、その一部が宗格院境内に約60mほど残っています。
ただ、境内を捜しまわっても、石見土手は見つかりませんでした。
あとでわかったのですが、本堂の北側辺りにあるそうでして、そこに入るにはお寺さんに「玄関の鍵」を開けてもらって、入って行く行く必要があるようです。
石見土手の写真は八王子市のものをご覧ください

宗格院の千人同心屋敷跡記念碑

上記は境内にある千人同心屋敷跡記念碑です。

また、宗格院の墓地には千人同心組頭で蘭学者でもあった松本斗機蔵の墓があります。

松本斗機蔵

松本斗機蔵(まつもと-ときぞう)は、1975年生まれであり、八王子千人同心頭の松本家の養子として三十表一人扶持となりました。

極楽寺・塩野鉄斎の下で学び、江戸昌平坂学問所では天文・地理・兵制を収めました。
渡辺崋山・高野長英・伊豆韮山代官である江川英龍などとも親交があり、海外事情に極めて精通していて、日本開港を主張したと言います。

松本斗機蔵の墓

1837年には、水戸藩主・徳川斎昭に「献斧微衷」と言う上書を献上し、海防を唱えました。
その後、1841年に松本斗機蔵は、徳川幕府より浦賀奉行を命じられますが、病のため赴任しないまま、1841年9月19日、49歳で世を去りました。

宗格院へのアクセスですが、入口は下記の地図ポイント地点となります。
そこには6台ほどの無料駐車場もあります。

大久保長安と八王子の大久保石見守長安陣屋跡
梶原館 由井氏館跡 川口兵庫介館跡(川口氏館跡)【八王子市】
八王子の史跡・史蹟一覧~八王子城・滝山城からマイナー館跡まで

 

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