信長のシェフならぬ信長の料理番だった坪内某

台所

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近年、和食が再評価されたことによって江戸時代や戦国時代など日本史と食文化を扱った作品が多くの媒体で扱われています。

ドラマにもなったコミック『信長のシェフ』(芳文社)や、小説『戦飯』(実業之日本社文庫)など、タイムスリップと絡めた仮想世界を舞台としたものもあれば、料理研究家・永山久夫氏による研究・再現を盛り込んだ書籍など、様々な形で戦国の食事情は流布しています。

事実、戦国の世を戦う武士や大名にとって、楽しみの一つであり儀礼として欠かせなかったのが宴会や会食であり、それを演出する立役者が料理人でした。本項で紹介する坪内某は、三英傑の一人である織田信長に仕えた料理人です。

この坪内(以下、こう記す)が歴史上に登場するのは江戸中期に成立した逸話集『常山紀談』で、彼は元々三好家に仕える料理人として召し抱えられていました。
坪内が信長に出会ったのは三好が倒された時として記載されているため、三好氏本家当主であった義継が自害した天正元年(1573年)以降の事とみられています。

当初、坪内は織田軍の捕虜として放し囚人(※1)として収監されていましたが、数年後には織田家臣・菅谷九右衛門(長頼)に料理係として仕えたいと申し出ました。

料理、特に包丁さばきに優秀な腕を持っていた坪内を評価する者は他にもおり、信長配下の料理番でもあった市原五右衛門(※2)もまたその一人でした。
坪内の子供は織田家に仕官しており、彼自身はコイや鶴(当時の高級食材)を使った料理に秀でていた事から助命嘆願を得たのです。

当時の宴会では一同を楽しませる役目もあった包丁の腕に優れ、七五三の饗膳(※3)に関する知識も豊富な坪内に関心を持った信長は、菅谷・市原両名の訴えに対し、許すか否かは料理の出来次第と返答し、坪内に翌朝の料理を作らせます。

しかし、坪内の料理を試食した信長は「水くさくてくはれざるよ、それ誅せよ」と激怒しました。“水っぽい味でとても食べられない料理を作った”ことを咎められて死刑宣告を受けた坪内は、
「承知致しました。もう一度機会を与えて下さい。それでもお気に召さないならば、腹を切りましょう」
と懇願し、翌日に信長に料理を供します。すると、その時の信長はその料理の味が予想外に美味だったのに感心し、坪内を褒め称えました。こうして坪内は罪人の身から一転し、禄を賜る栄誉を得たのでした。

その後、坪内は姿を消しますが、『常山紀談』では信長の嗜好を如実に表した有名な一言を残しています。坪内は厚恩を謝しつつ、
「昨日の料理は長輝公から5代に渡って将軍家に仕えた三好家の味らしく、上品にしたものでございます。今日の料理は野卑な田舎料理だから、きっとお口にあったのでしょう」
と述べたのでした。人々は「信長公に恥を書かせた言葉だ」と言い合ったと言われています。

この事から信長は京文化を理解しない田舎者とする説もあれば、武将と言う肉体労働をしていた以上は塩分の濃い食事を好むのは当たり前だったなど、多くの見解や説が生まれました。
いずれにしても、坪内某は織田信長に料理を供したことで歴史に名を残し、信長の嗜好をも後世に伝えると言う料理人ならではの業績を残したのでした。

(※1) 『はなしめしうど』と読む。刑具によらず一定の場所に拘置する罰。もしくは、その罰を受けた罪人。

(※2) 『武辺咄聞書』による。

(※3)本膳に七品、二の膳に五品、三の膳に三品の料理を供する宴のスタイル。ないしは宴で供される膳の数とも言われる。

<補足説明>

今回、坪内某として名前を明記しておりますが、この「某」(ぼう)と言うのは、その言葉の通り「ボウ・それがし」となります。
文献などでは、よく、苗字はわかっても、下の名前が不明な場合には、~某と明記していることが多々あり、その名がわからないのですが、苗字が分かっている場合に用いられます。

(寄稿)太田

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