川端道喜の献上餅物語~戦国時代に日本史を動かした京都の和菓子職人・渡辺五郎左衛門

川端道喜


京都で観光した時の楽しみは、史跡巡りに神社仏閣、ショッピングと色々ありますが、伝統と歴史に彩られたグルメも楽しみと言う方は多いです。
私もその一人で、特に京菓子の多彩さと繊細な風味には魅了されてしまった思い出があります。

そんな京菓子には、皆さんにもなじみ深い戦国時代を舞台にした物語が存在します。
それは、京都の人情味を感じさせるエピソードでもあるので、少しご紹介したいと思います。



応仁の乱以降、室町幕府は弱体化の一途を辿り、京の町は荒れ果ててしまいます。
室町幕府の武力と権力で守られていた朝廷も、そのあおりを受けて元から強靭とは言えなかった経済基盤が弱体化し、窮乏してしまったのでした。

現代では想像もつきませんが、室町時代の末期から戦国時代の御所、つまり皇居の財政は火の車で、諸々の儀式に使う費用も工面できないほどに悪化し、後土御門天皇は崩御しても資金不足が原因で43日間に渡って大葬の礼も行われなかったほどでした。
このように、大事な儀式に使うお金もままならないのですが、それに加えて皇室では衣食にも事欠くようになっていきます。

その窮状を見て立ち上がったのが、元は鳥羽の武士だった餅商人・渡辺進(わたなべ-すすむ)と、その娘婿の中村五郎左衛門(なかむら-ごろざえもん)、またの名を渡辺彌七郎でした。

この義理の親子は“御朝物(おあさのもの)”と言う餅を、毎朝御所に届け、皇室のピンチを救いました。
店の開業は文亀3年(1503年)で、その9年後には餅を扱う商人の上に立つ“京餅座”の権利を得た富商でもありました。

道喜の子孫に当たる15代目・川端道喜氏によると、“御朝物”は潰した塩餡で包んだ餅で、野球ボールより少し大きいくらいに仕上げた素朴な餅だと言うことです。
献上品だけあって、御朝物は容器に入れた後に大きな朱塗りの器に入れ、更に唐櫃に入れた三重構造でした。

この御朝物は皇室にとって大きな喜びで「御朝はまだか」つまり朝の餅はまだかな?と天皇から御言葉が掛かり、女官が届いた餅を確認してから天皇のもとに運ぶ手順を経て、ようやく朝食を摂ったと言う話も残されています。
この風習は明治天皇によって東京への遷都が行われるまで続き、朝餉の儀と呼ばれる儀式として続けられました。


元亀3年(1572年)に剃髪して居士(在家の仏教信徒)になり、川端道喜(かわばた-どうき)と名乗った渡辺五郎左衛門は、京の町衆を始めとした工商に関する人々をまとめて京の復興、中でも御所への奉仕に乗り出しました。
彼の舅であった渡辺も、餅や粽(ちまき)などの飲食物納品のみならず、御所の掘割をする労働者や警備をする者を募って監督するなどの事業を行っており、道喜はそれを引き継いだとも言えます。
また、武野紹鴎のもとで茶道を学んだ道喜は、千利休古田織部と言った茶人とも親交があり、文化復興にも貢献していました。

そうした貢献には朝廷も厚く報いており、川端氏が出入りするための専用出入り口“道喜門”が御所の建礼門に用意されたり、織田信長配下の村井貞勝から諸役免除の奉書を与えられるなど、公武ともに重んじられました。
そして、彼が死去した際に後陽成天皇が“南無阿弥陀仏”と記したご宸筆(天皇の直筆)を書いて賜ったことから、その存在感の大きさがうかがえます。

道喜のご子孫は、宮中の御用達だった頃の伝統をそのままに、和菓子を市販しながら“御粽司(おんちまきし)・川端道喜”(御ちまき司-川端道喜)を名乗り続け、伝統を守り現代に至っておられます。
京都では今でも天皇陛下を“天皇さん”と親しみを込めて呼ぶことがありますが、そうした皇室と市民の親近感から成り立つ京文化を促進した一端を担った意味では、川端道喜は武将にも匹敵する英雄だったとも言えるでしょう。

(寄稿)太田

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