村上景と琴姫とは~村上海賊の娘「主人公のモデルとなった女性は?」

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村上景とは

和田竜さんの歴史小説「村上海賊の娘」にて、ヒロインでもあり主人公の村上景(むらかみ-きょう)と琴姫(ことひめ)について調べてみました。

まず、この海賊である村上家と言うのは、戦国時代に瀬戸内海にて君臨した村上水軍であり、本拠地は能島城でした。
作家の和田竜さんは、幼い頃から中学2年生まで、広島に住んでいたようで、両親に連れられて因島を訪れたことがあり、その時に村上海賊の事を知ったと言います。

村上海賊

「譜録・村上図書元敬寄組」(1741年)に、村上武吉の娘が記載されているそうです。
小説・村上海賊に登場する景(きょう)の事ですね。
能島村上水軍の頭領・村上武吉には、村上元吉村上景親と言う2人の息子が実在していますので、娘の1人や2人いてもおかしくはありません。
ただし、村上武吉の娘(女)で、黒川元康(黒川五右衛門元康)の妻、母は来島通康の二女と言う事しか分かっておりません。
能島村上家の系図などにも記載はなく、この村上武吉の娘の実名や、どのような行動をしていたのかを示す史料はありません。

その辺りを、想像を膨らませて小説にしたのが「村上海賊の娘」であり、村上景と言う架空の名前をつけてある訳です。

能島城

ちなみに「景」(きょう)の文字は「小早川隆景」から取ったとお話しされておられます。

更に申し上げますと、村上武吉の長女と考えられる女性がおりますが、穂田冶郎太輔元清公室、実来島通康女武吉養女となっていますので、来島通康の娘を養女としたようです。
ただし、この養女は「村上海賊の娘」で登場する美人な琴姫の事となります。
この村上武吉の養女(琴姫)は、毛利元就の4男・穂井田元清に嫁いだのは事実です。村上武吉の養女(琴姫)は、関ヶ原の戦いにも西軍として参陣した毛利秀元を生んでいます。

そのため、村上景のモデルとなった女性が、村上武吉の実質的な長女である「村上景」と言う事になります。

史実ではないとお怒りの方もおられるようですが、小説やドラマ・映画というものは、そもそもフィクションですので、理解したうえで「村上海賊の娘」も楽しまないといけないのでは?と感じております。


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黒川元康(黒川五右衛門元康)とは?

さて、村上武吉の娘が嫁いだとされる黒川元康(黒川五右衛門元康)も気になったので調べてみました。

黒川五右衛門と言うと、まず伊予黒川家が思いつきます。
伊予黒川家は伊予河野家の一族で、正岡子規の家系としても知られます。

その黒川家は大西町にある河野家の分家である黒川家となります。

因島村上系図では、黒川五右衛門元康の女(娘)を貰った村上氏がいます。
これをまともに受けますと、村上武吉の娘と黒川元康の間に生まれた娘が、因島村上家に嫁いだと言う事です。

曽我部五右衛門と称した黒川美濃守の子が、黒田官兵衛の家臣に見受けられ、1600年の関ヶ原の戦いに、黒田官兵衛(黒田如水、黒田孝高)が九州で軍を発した石垣原の戦い(1600年9月13日)にて討死したとあります。

この曽我部五右衛門と言う武将は、剣山城主・黒川通貫(黒川山城守通貫、黒川五右衛門通貫)の子であったようで、黒川五右衛門と最初は名乗っていた模様です。

黒川五右衛門(曽我部五右衛門)は、黒田家にいた後藤又兵衛が出奔した際に、一緒に同行したともあり、後藤又兵衛の妻を世話したともされています。

この黒川五右衛門(曽我部五右衛門)が「元康」、すなわち黒川元康(黒川五右衛門元康)と同一人物であったかどうかの確証はえられません。

しかし、この黒川五右衛門は討死しましたが、子としては菊太郎通昭がおり、また女(娘)は早世したとあります。

う~ん、関東からではさすがに詳しく調べられませんので、この黒川さんの話は、参考として捕えて頂けますと幸いです。
また、情報をご存知の方がおられましたら、是非下記のコメント欄にでもお寄せ願えますと幸いです。


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安宅船

安宅船(あたけぶね)は現在の海軍で言えば、戦艦に相当します。

安宅船

その安宅よりも一回り小型なのが、関船(せきぶね)で、ちっょと小さい分、安宅より快速でした。
更に小型なのが小早(こはや)となります。
小早は小さい分、スピードもでますが、小型と言っても20名~40名で艪(ろ)を漕ぐ船舶でしたので、長さは10m前後と、それなりに大きな船だったとされます。

九鬼水軍では安宅中心の編成で、小早は脇役でしたが、村上水軍では、関船や小早といった快速性を重視した戦術を用いていました。

鬼手とは

鬼手(きしゅ)と言うのは、相手の意表をつく、大胆で奇抜な手法の事を言います。

歴史小説・村上海賊の娘

和田竜さんの小説・村上海賊の娘は出版されております。

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最近は漫画版も出ているようですので、読んでみたくなりますね。

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コメント

  • コメント ( 1 )

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  1. 屋代源三

    楽しく読ませて頂いています。

    「村上海賊の娘」のお陰で瀬戸内の村上海賊(水軍ではありません)が有名になり、今治の水軍記念館はホクホクと
    なりましたね。((笑)

    この娘が実在か否か当初から疑問でした。

    結論からすると、「架空の人物」として作者は登場させて小説を書いたものと思います。

    ただ、村上武吉系の系図には消息不明の娘が一人いますので、その人物を借用した可能性はあります。
    黒川元康に嫁したとされますので、伊予黒川家の秘蔵の系図を見てみましたが、見当たりません。
    伊予黒川家の子孫の方に問い合わせをしましたが、「問い合わせは多いのですがよくわからない」とのことでした。

    ただ、異本にはこの娘は長曾我部元康へ嫁すとあるものもあり、あながち架空ともいえない風です。
    これは長曾我部ではなく曾我部元康と思われます。曾我部と黒川家は同門ですので、黒川としてもおかしくはない。

    ご承知のように曾我部は福岡黒田藩に行き、後藤又兵衛と一緒に行動しています。

    ただ、村上武吉関連の古文書(一次史料)にはもちろん娘が活躍した話はありません。
    息子の元吉は武吉以上の急進派だったようです。確か小説では景の下の弟はひ弱な人物とされていたかと思いますが、元吉の弟、景親も勇敢な人物とされますのでひ弱ではありません。

    やはり小説は小説と思われます。