平手政秀 命をかけて役目を全うした織田信長の傅役





平手政秀(ひらて-まさひで)は、平手経英(平手経秀)の子として、1492年5月10日、尾張国で生まれた。母は不詳。

平手政秀は志賀城主として、織田信秀に仕え、重臣として主に外交面で活躍した。
茶道や和歌などにも通じた文化人で、1533年に尾張を訪れた公家・山科言継が、平手政秀の屋敷に宿泊した際には、平手政秀は賞賛を受けるほど万能的な教養人であった。

1534年、織田信長が誕生すると傅役に就任し、織田家の次席家老も務めた。
織田信長の教育係として、沢彦宗恩を美濃から招いている。
織田信長が那古野城主となった際には林通勝(林秀貞)と共に付家老となった。


1540年、伊勢神宮外宮造営のため寄進に尽力。
1543年5月には、織田信秀の名代として上洛し、朝廷に内裏築地修理料4000貫を献上するなど、朝廷との交渉も担当していた。

1547年、織田信長が初陣した際には、後見役を務めた。
1548年、美濃・斎藤道三との和睦を成立させ、織田信長と濃姫(帰蝶)との婚約を結ぶ功績も挙げている。
また三河の安城合戦においては織田信広への援軍を率いてもいる。

1552年、織田信秀が死去し、織田家中が不穏となる中で、1553年閏1月13日に自刃した。享年62。

自刃の理由は、一般的には織田信長の奇行を諌める為だとされているが、本当の理由を明確に示す史料は今のところ見つかっていない。

平手政秀の死後も、織田信長の奇行は改まらなかったが、織田信長は平手政秀の死に対して、沢彦宗恩を開山とし春日井郡小木村に政秀寺を建立して菩提を弔った。
首塚が名古屋市西区中小田井の東雲寺にある。

平手政秀の娘(雲仙院)が、織田信長の弟・織田長益(織田有楽斎)の正室となっている。

信長公記では

信長公記では平手政秀自決の理由を下記の通り記載している。

平手政秀の息子は、長男・平手五郎右衛門(平手久秀?)、次男・平手監物、三男・平手汎秀という兄弟3人がいた。
総領の平手五郎右衛門は優秀な馬を持っていた。
それを織田信長が所望すると「私は馬を必要とする武士でありますので、お許しください」と小憎らしいことを言って献上しなかったので、恨みを買ったとされる。


織田信長がそのことを度々思い出しては平手政秀に言った為、2人の関係は次第に不和となったとされる。
間もなく、平手政秀は織田信長の実直でない有様を悔やみ「信長公を守り立ててきた甲斐がないので、生きていても仕方がない」と言って、腹を切って死んだと言う。

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コメント

    • 寺田 みゆき
    • 2016年 1月 06日

    名古屋の矢場町に(名古屋のほぼ中心部で多分一等地)政秀寺があります。
    ほんとにデカイんです‼️

    • 高田哲也
    • 2016年 1月 06日

    寺田さま、いつもコメントありがとうございます。
    政秀寺も行って見たいです。ちなみに、来週は米原周辺へ出張する予定です。

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