伊東祐兵~所領を失うも巧みに戦国を生き抜き3万6000石にて復活した飫肥城主

飫肥城


伊東祐兵(いとう-すけたけ/いとう-すけたか)は伊東義祐の3男として1559年1月15日に生まれました。
母は側室・河崎祐長の娘です。

島津家に対抗するため1668年、9歳の頃には飫肥城主として赴任しています。

しかし、1572年、木崎原の戦いで敗戦した伊東家は衰退の一途となり、1577年には、福永祐友、米良矩重ら重臣も離反します。

これを受けて、飫肥城主・伊東祐兵は島津忠長に奪われた櫛間城の奪還に出陣しましたが、逆に反撃され飫肥城に戻ると包囲されました。
そして、日向北部からは土持親成が侵攻したため、伊東家は北と南から挟み撃ちさる事態となり、飫肥城を放棄して、父のいる佐土原城を目指します。

佐土原城に到着した日には、父も佐土原城を捨てる覚悟となり、伊東祐兵は父と共に米良山中から高千穂へ抜けて、豊後の大友宗麟を頼って逃れました。(豊後落ち・伊東崩れ)

こうして、日向の全土は島津家が治めるところとなり、飫肥城も再び島津氏の支配となっています。



1578年には、大友宗麟が耳川の戦いにて島津義久島津家久に大敗して、日向に復帰する道も断たれただけでなく豊後にも居づらくなります。
そのため、伊東祐兵は、子の伊東義賢・伊東祐勝を豊後に残し、父・伊東義祐と、自身の正室である阿虎の方、及び河崎祐長・川崎権助の父子ら従者20人と共に、四国は伊予の湯築城主・河野通直を頼りました。
これは、河崎祐長の手はずで四国に渡ることができました。
しかし、主従の生活は窮乏し、河崎祐長は酒造りをして生活の足しにしていたと言います。

その頃、河崎祐長から伊東家再興の祈祷を度々頼まれていた山伏・三峯が、巡行先である姫路にて、羽柴秀吉の黄母衣衆の一人・伊東掃部助(伊東長実か?)と出会います。
同じ一族であるこの尾張・伊東氏の仲介にて、伊東祐兵の主従は織田家(羽柴家)に仕官することになり、羽柴秀吉の与力となりました。

1582年、本能寺の変のあと、山崎の戦いにて伊東祐兵は戦功を挙げ、河内500石となり、また恩賞として「くりから竜の槍」を与えられています。

天正15年(1587年)には、豊臣秀吉の九州攻めにて黒田孝高に従って先導役を務め上げ、旧領のうち清武・曾井に2万8000石にて復帰しました。
忠義の士である河崎祐長には、清武城を任せています。

翌1588年には、かつての本拠地である飫肥城も島津家から取り戻し、3万6000石となっています。

その後、朝鮮出兵にも参陣し、慶長4年(1599年)には豊臣姓を下賜されました。

1600年、関ヶ原の戦いでは、伊東祐兵は重い病で大阪に滞在していたため、成り行き上、石田三成の西軍に与しています。
しかし、伊東祐兵は出陣しておらず、黒田官兵衛を通じて徳川家康に恭順を示し、嫡男・伊東祐慶を密かに九州へと派遣しすると、九州では数少ない東軍側として働かせました。

九州では家老・稲津重政らが指揮を執って東軍として、西軍の高橋元種の属城・宮崎城を攻撃占領しています。
しかし、この時点で高橋元種は東軍に寝返っていたため、戦後に宮崎城を返還し、責任を取り切腹に応じない稲津重政の清武城を攻めて討伐しています。

こうして、伊東家は東軍参加と貢献が認められ、徳川家康から所領を安堵されました。


なお、病となっていた伊東祐兵は大阪にて同じ1600年10月11日に死去したため、家督は、伊東祐慶(いとう-すけのり)が継いで、飫肥藩2代藩主となっています。

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