亀の前【源頼朝の妾】おもしろ浮気解説【鎌倉殿の13人】妙悟尼~漁師・権三も

亀の前【源頼朝の妾】

亀の前とは

亀の前 (かめのまえ) / 亀 は、良橋太郎入道の娘とされる鎌倉時代初期の女性ですが、どんな人だったのか?、生い立ちなどをご紹介したいと存じます。
父とされる良橋太郎に関してはよくわかっていませんが、源頼朝に従っていた家来だった可能性があります。
そのためか、吾妻鏡では源頼朝が伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)にて流罪となってから、亀前は側近くで仕えた女中であったとあります。
亀の前は、美人で性格も柔和だったとされますが、生没年などは不明です。


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2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、女優の江口のりこさんが、亀(かめ)を演じられます。
と言う事は、脚本が三谷幸喜さんだけに大泉洋さんが演じられる源頼朝は、いつも怒られたり、亀など女性に頭が上がらないような雰囲気になる予感も致します。
その後、ドラマ(時代劇)での「亀」の設定がわかりました。

ドラマ(創作の時代劇)において、亀は最初、安房の漁師・権三の妻と言う設定のようです。
石橋山の戦いに敗れた源頼朝が真鶴から安房に逃れた際に宿泊すると、亀と出会って気に入られるそうです。
そして、亀は権三と離縁して鎌倉に赴くと大倉御所で「侍女頭」として働くようになり、源頼朝の妾となりました。
八重と源頼朝が男女の仲であったことを知ると、ライバル心を燃やすようです。
やがて北条政子の知る所となって、新しい屋敷を北条政子が訪問するとあります。

ちなみに、漁師・権三は、お笑いコンビ・カミナリの竹内まなぶさんが演じられます。


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さて、話を戻しますが、1181年12月、北条政子が病の床に臥せます。
御家人たちも鎌倉に出向いて見舞いをしましたが、これは懐妊したことによる「つわり」でした。
1182年3月9日、千葉常胤の妻が献上した帯を、頼朝自らが結ぶ「着帯」の儀を行い、丹後局という女房が陪膳(儀式の食事)を給仕しています。
そして、約1年前から「御密通」していた女性・亀の前を、源頼朝は秘かに、6月1日に中原光家(中原小中太光家)の小窪(逗子・小坪)の屋敷に入れました。
源頼朝は密かに亀の前を、寵愛するようになっていたのです。
まさに、奥さんが妊娠中の「浮気」とも言えるでしょう。

小坪に住まわせたのは、由比ガ浜へ、みそぎに行くといって出かけたり、車大路に住む加藤景廉の病気見舞いで行くと言う理由で、都合がよいからだと理由まで吾妻鏡にしっかりと記載されています。
由比ガ浜では、榛谷重朝、和田義盛和田義茂、三浦義連、愛甲季隆らと、よく、弓馬の訓練もおこなっていました。
ただし、側室や妾(めかけ)を持つのは、珍しくない事でもありましたので、念のため、明記しておきます。

お産が近づいた北条政子は、7月12日に、比企谷の比企能員の屋敷に移り、梶原景時がお産を取り仕切ることになりました。
比企能員(ひき-よしかず)は、源頼朝の乳母であった比企尼(ひきのあま)の甥になる側近です。

1182年8月12日に、北条政子が万寿(源頼家)を出産したあと、北条政子の父・北条時政の継室である牧の方が「浮気をしている」と北条政子に知らせます。
その前後、亀の前は、更に遠方である飯島(逗子)の伏見広綱の屋敷に移されました。
北条政子は、牧の方の父・牧宗親に命じて、11月10日、源頼朝の右筆である伏見広綱の邸宅を破壊させています。
この時、亀の前は、伏見広綱に連れられて、鐙摺(葉山町)にある大多和義久の屋敷(鐙摺城)へと逃れました。

これに怒った源頼朝は、11月12日、牧宗親を連れて鐙摺(あしずり)を訪れると、伏見広綱に経緯を聞き、泣いている牧宗親を尋問しました。
牧宗親は、頭を地面につけて平伏するばかりであったため、源頼朝は牧宗親の髻を切って恥辱を与えたとあります。
ちなみに、牧宗親は、平治の乱の際に、源頼朝を死から救った、平清盛の継母・池禅尼の弟です。
この仕打ちに、11月14日、北条政子の父で、牧の方の夫でもある北条時政は、一族を連れて鎌倉を去り、本拠地の伊豆に引き上げると言う騒動にも発展しました。
ただし、北条義時は鎌倉に残ったため、褒美を与えられています。


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12月10日、亀の前は、小中太光家の小坪の家に戻ったともありますが、北条政子の怒りは収まらず、12月16日、鎌倉伏見広綱は遠江・浜松に流罪となっています。
北条政子が怒る理由は、妾や側室に男子が生まれると、自分の子が後継者になる地位に、不安要素が出ることを、恐れたものと推測します。
亀の前のその後に関しては、吾妻鏡では1183年が欠落していることもあり伝わっていませんが、恐らくは北条政子を恐れて、離れていったものと考えられます。
怒っていたはずの、北条時政が、鎌倉に戻った時期も不明です。
朝廷とのパイプもあり、鎌倉にやってくるも、僅か半年で、流刑となった伏見広綱が、かわいそうなのですが、伏見広綱に関してもその後は不明です。

ちなみに、源頼朝は、同じ頃、新田義重の娘(源義平の未亡人・祥寿姫)にも手を出そうとしています。
源頼朝は伏見広綱に命じて、先の7月に、密かに兄の未亡人である祥寿姫に恋文を送っていました。
源義平(みなもとのよしひら)は、源義朝の庶長子で、源頼朝・源義経とは異母兄にあたる武将で平治の乱で敗れた際に、斬首されていました。
返事が無いので、源頼朝は、直接、父の新田義重に申し入れしました。
新田義重は、北条政子の恨みを恐れて、すぐに祥寿姫 (しょうじゅひめ) を師六郎に嫁がせ、新田党は、源平合戦にも参じるのを自粛したと言うのが結果でする
このように、積極的に鎌倉幕府設立に貢献しなかった新田氏は、のちの世代まで後を引く冷遇となり、やがて足利氏が台頭し新田義貞も苦悩する結果になったと言えます。


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話がそれましたが、NHK大河ドラマで、亀の前を演じられた女優さんは下記の通りです。

1972年「新・平家物語」高樹蓉子さん
1979年「草燃える」結城しのぶさん
2005年「義経」松嶋尚美さん
2020年「鎌倉殿の13人」江口のりこさん

妙悟尼(妙子)

大変興味深い話として、三浦半島の先端、三崎に住んだ、妙悟尼(妙子)と言う女性がいます。
吾妻鏡では、1194年閏8月1日、源頼朝が、白浪と青山で極めて優れた景色を有する三崎の津に、山荘(別荘)を建てることにしたとあります。
その山荘は合計3つあり「椿の御所」「桜の御所」「桃の御所」と呼ばれていたと言います。
そのうち、三崎の「椿の御所」には、源頼朝の妾として妙悟尼が住んでいたとされます。
椿の花が邸内を埋め尽くしていたので、椿の御所と呼ばれたともあります。


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一説によると、向ヶ崎にある永塚氏の娘で、長塚家のことを「小大椿」と呼ぶとも言い、本名を妙子だったともされます。
向ヶ崎は、まさに、椿の御所があった場所ですので、妙悟尼(妙子)は、実家近くに住んだとも言えます。
岩間尹氏の著書「実録三浦党」によると、下記のような記述があります。

頼朝は妙子を三浦義明の三男・大和田義久に託して、三崎の椿御所に居宅を設けてかくまい、三浦党よりの招待に事寄せて、度々ここを訪れ静養した。
頼朝は妙子を鎌倉伏見広綱の許に託しておいたが、北条時政の後妻の牧の方がこの事を知って、政子に告げたため、性来妬悍の政子は、牧宗親に命じて広綱の家を破壊して、妙子を放逐した。
妙子には、三崎の椿御所に居宅を設けてかくまい、三浦党よりの招待に事寄せて、度々ここを訪れ静養した。

おっと、出ましたね。
亀の前の話と、ほとんど同じと言って良いでしょう。
なんで、伏見広綱は亀の前を連れて鐙摺城の大多和義久を頼ったのか?が、理解できなかったのですが、もともと、亀の前が三浦出身だったと言う事であれば三浦党を頼ったのもわかります。

となりますと、妙悟尼(妙子)は、亀の前と同一の女性だったとも推測できます。


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源頼朝は、1194年9月6日、1995年1月25日と8月26日と、4回も三崎に出かけていることが確認できます。
1199年、源頼朝が死去すると、その女性は出家して、妙悟尼と名乗り、源頼朝の菩提を弔いました。
三浦半島の三崎港に近い大椿寺(だいちんじ)と言う寺が、妙悟尼の屋敷跡だと伝わります。
その大椿寺は妙悟尼が開基で、開山は鎌倉建長寺の旭永和尚となっています。
妙悟尼の墓も境内にあるようです。

新編相模風土記稿では、下記のように記載されています。

法名大椿寺法円妙悟尼、寛喜二年(1230年)正月廿五日逝去す、宮川村に墓あり、寺記に妙悟尼は頼朝の室なりと云ふ、頼朝の夫人は政子にて事実卒年等も符合せず、こは全く鎌倉の侍女にて、後剃髪し此地に住せしならん。

実際問題、亀の前と言う名前は、本名ではありません。
また、亀の前のその後に関しても、よくわかっていませんので、もし、亀の前を三浦党が引き続き匿い、源頼朝の死後に出家して妙悟尼となって、1230年まで長生きしていたとしたら、少しうれしい気持ちになります。

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