小寺政職と御着城~黒田官兵衛の能力を高く評価した大名

御着城

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 御着城主・小寺氏は、もともと播磨国佐用庄の地頭で、室町時代に播磨守護となった赤松氏の一族であり、鎌倉幕府滅亡後は、代々、小寺氏が姫路城の城代を任されていた。
 赤松氏の家臣だった浦上村宗が主家・赤松氏を凌ほどの実権を握ると言う下剋上もあり、赤松氏は衰退。
 そして、1521年に赤松義村が浦上村宗に殺害されると、赤松氏は細川晴元を頼って逃亡した。浦上村宗は備前守護代にまで出世していたのだ。
 浦上村宗は播磨を統一すると、打倒・細川晴元の為、1531年、赤松政祐・細川晴元・三好元長の連合軍と、細川高国・浦上村宗の連合軍が天王寺の戦いで激突。
 浦上村宗は大物崩れ、天王寺崩れとも呼ばれる、大敗北を喫して、討死した。
 この戦いに、小寺氏の小寺則職は赤松政村に従って「細川晴元側」に加わり参戦したようで、復活した赤松氏・赤松政村の一族として、小寺氏も繁栄した。

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 小寺政職は1517年に小寺則職の子として誕生したとされ、1545年、小寺則職は家督を嫡男の小寺政職に譲って引退。御着城主は、代々「藤兵衛」と呼ばれたようだ、
 小寺政職は、御着城を改修し防御を強化する一方、播磨国内の香山氏、真島氏らを制して、勢力を拡大して行った。
 また、領内で盗賊を捕えるなど善政を敷いたようで、農民からも慕われていたようで、また、有能な人材を多く登用したとも言われ、その人材登用に黒田職隆・黒田孝高(黒田官兵衛)と言った武将も含まれている。
 そして、置塩城の赤松氏が勢力を後退させると、小寺政職は戦国大名へと成長して行った。

御着城

 なお、小寺政職の正室はお紺?とされるが、生没年・結婚した時期など一切不明。
 小寺福職の娘とする説もあるが、小寺福職の娘は小寺政職の母であるとも?

 やがて、東から織田信長、西から毛利氏の勢力が伸びてくると、家老・黒田官兵衛の助言に従って一旦は織田信長に味方した。
 毛利家の部将・浦兵部宗勝が率いた5000を、小寺政職は1000で撃退することに成功し、織田信長から感状も与えられいる。
 この合戦は、のちに豊臣秀吉の軍師として活躍する竹中半兵衛と黒田官兵衛の作戦による勝利でもあった。

 しかし、三木城の別所長治の毛利方への寝返り、摂津・有岡城主の荒木村重の反乱などに動揺した小寺政職は、 黒田官兵衛の言を入れず毛利方に寝返った。
 三木城・有岡城が相次いで陥落すると、1580年、織田信長の嫡男・織田信忠は10000で御着城を攻撃開始。小寺政職は奮戦したが御着城から逃亡し、毛利氏を頼った。
 しかし、毛利氏の吉川元春に小寺政職は拒まれて、備後の鞆と言う土地で1584年に没した(享年55)とも伝わるが、小寺氏は没落したと言える。

 なお、小寺政職の子・小寺氏職は黒田官兵衛が養育し、のち黒田長政に仕えて、福岡藩士として続いた。

■小寺家家臣

 山脇六郎左衛門(山脇城主)
 黒田官兵衛孝高(姫路城主)
 石川源吾(南山城主)
 吉田平蔵
 長浜河内守長秋
 小河三河守良利(小河良利)
 尾上左京亮可親(小寺家家老)
 大村治太夫(小寺政職の守役)
 江田善兵衛
 河本弥太郎
 大塩半左衛門景照
 渡辺弥三郎
 浅田九郎兵衛
 加納善七
 原田兵庫
 小寺孫四郎
 奥山源太夫
 安積助九郎
 多田庄七郎
 岡野久次郎
 板場八十郎
 恵藤六郎右衛門
 尾崎甚太夫
 加藤孫右衛門
 岸田与三兵衛
 斎藤九助
 宮崎甚七
 大野甚兵衛
 田崎与左衛門
 永井監物
 井上伊左衛門
 井上利兵衛
 田中孫太郎
 西垣総兵衛
 原小五郎重親
 曽我大隅守一信
 八代六郎左衛門
 尾上十三郎
 石見権右衛門久国
 石見六郎兵衛久実
 岡村孫太夫秀治

御着城

 小寺政職が城主だった御着城(ごちゃくじょう)は、姫路城から東へ約5kmの地点にあります。
 付近には播磨の国分寺がありますので、その昔からこの辺りでは御着付近が中心地であり、小寺氏も勢力を誇っていた事が伺えます。
 現在は一部が「御着城址公園」となっており、目立った遺構はありませんが、石碑などがあります。

御着城

 なお、御着城の公園西側には、黒田官兵衛の祖父・黒田重隆と生母・明石氏の娘を祀った黒田家廟所がありますが、詳しくは下記にてご紹介させて頂いております。

 →黒田重隆と黒田職隆とは~黒田家廟所

 御着城の駐車場は下記のポイント地点となります。
 満車の場合でも、手前の道路は駐車禁止ではないようですので、短時間止めても大丈夫だと思います。
 トイレも公園内に完備されています。

 →黒田官兵衛の詳細 もどうぞご高覧下さい
 →姫路城の天守閣内部訪問記・写真集の特集

 

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  1. 2015年 11月 24日

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