黒田利則・黒田直之・黒田熊之助の解説~黒田氏の一族などを分かりやすく紹介

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中津城

黒田利則(黒田修理亮利則)

黒田利則は黒田職隆の3男で姫路で1561年に生まれた。
母は神吉城主の未亡人で、兄の黒田官兵衛黒田利高とは異母兄弟となる。幼名は黒田甚吉。

播磨平定後は、黒田利高とともに羽柴秀吉の馬廻組となった。
妻は間嶋家より迎えている。


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1583年、賤ヶ岳の戦いで活躍し、その後は羽柴秀長の家臣として九州攻めに参加。
1587年、黒田官兵衛黒田長政の豊前入国後は、羽柴秀長家臣から黒田家に戻って2000石を領した。
文禄の役では黒田長政に従って朝鮮に渡り、休戦中に頭を丸めて養心と号した。
慶長の役では旗本備として42人を従えて再び渡海し、忠清道の稷山(チクサン)で戦功を挙げた。

1600年、関ヶ原の戦いでは中津にて黒田官兵衛や栗山利安母里太兵衛と共に豊後・富来城攻めに参加し、その後700人の兵とともに中津城を守った。
黒田長政の筑前入国の時には、黒田長政の名代として、名島城を受け取りに行っている。
そして、黒田長政が筑前国を領すると12000石で津屋崎城代を任された。
 
父・黒田職隆の菩提を弔うため那珂郡一瀬村に心光山正岸寺を建立し、黒田職隆の画像を奉納した。
また、黒田官兵衛が没した時にも崇福寺に如水居士画像を奉納している。

黒田利則は1612年に没している。

子は、黒田正喜、黒田正興の2人。


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黒田直之(黒田図書助直之、黒田図書助、黒田惣右衛門)

黒田直之は黒田職隆の4男で1564年に姫路に生まれ、母は黒田家の家臣・母里小兵衛の未亡人だ。
兄の黒田利高(黒田兵庫助利高)・黒田利則と同じく、羽柴秀吉の馬廻組となり、その後も羽柴秀長の家臣として大和郡山城下に住んだ。
羽柴秀長の筆頭重臣・藤堂高虎とは屋敷が隣であったと言う。
この時の縁で、藤堂高虎は後に黒田家のシンボルである大水牛兜(変形)を愛用したらしい。

豊前入国後は兄と同様に黒田家に復帰し、4556石を領した。
中津城下で、キリスト洗礼を受けて、ミゲルと名乗った。

黒田官兵衛に従って、豊臣秀吉の小田原攻めにも参加。この時、北条家に属していた由良新六郎の娘を正室に迎えたようで、妻ものちに洗礼を受けてマリアと名乗っている。
この由良新六郎は、由良国繁と推定される。
由良氏は、元々、横山党の一族猪股党から出た横瀬氏で、あの新田義貞も輩出している名門だ。
由良国繁は金山城主だったが北条氏に降ると、金山城は北条氏照が接収されたが、所領は安堵され、豊臣秀吉の小田原攻めの際には、小田原城にて籠城していた。
その一方で、母・妙印尼(赤井氏の娘・赤井輝子)が、由良国繁の嫡男・由良貞繁を大将として、総勢200の兵を集め上野国・松井田城を攻撃していた前田利家の陣へと参陣し従軍した為、豊臣秀吉に許され、常陸牛久に5400石を知行した。
恐らく、この豊臣秀吉に仕える事になった関係で、軍師だった黒田官兵衛の弟である黒田直之と、由良国繁の娘の婚儀が決まったのだろう。

文禄・慶長の役では、黒田長政に従い参戦。旗本備え112人を統率して稷山で功名を挙げた。
関ヶ原の戦いでは黒田官兵衛や栗山利安・母里太兵衛と共にと九州で参戦し、富来と柳川の城攻めで活躍した。筑後・久留米城の城受け取り役も務めている。
黒田長政の筑前入国後は、秋月の地で12000石を領した。キリスト教への信仰は厚く、山深い秋月の地で2000人の信者を保護したり、秋月には、今も天主堂跡と切支丹橋が残っている。
なお、徳川幕府がキリスト教を禁じ、黒田直之も1609年に没すると、信者は大阪や島原に逃げたと言う。
 
黒田直之の子孫は4代目から、秋月藩の黒田家一門として由良姓を名乗り、1300石となって明治に至っている。


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黒田熊之助

黒田熊之助は黒田官兵衛の次男。黒田長政とは15歳年下の同母弟となり、1583年生まれと推定されるが、1580年、1582年の説もある。
賎ヶ岳の合戦の時、山崎城で生まれた。元服後の名前が伝わっておらず、幼名での紹介となる。

1597年、慶長の役の際、16歳になっていた黒田熊之助は、中津城の留守居を勤めていたが、父・黒田官兵衛や兄・黒田長政に加勢して功を挙げたい一心で、同年代の若い家臣、黒田熊之助(黒田官兵衛の次男)、黒田吉松(黒田一成の弟)・木山紹琢・母里吉太夫らと共に秘かに中津城から朝鮮に向かった。
しかし、渡航の際、玄界灘で暴風に会い、船が沈没し遭難死した。
母の光姫(幸圓 こうえん)は、豊臣秀吉の人質として居住していた大坂の天満屋敷で、この知らせを受けたようだ。

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