朽木元綱とは~織田信長の退却を助けた湖西の朽木領主

朽木元綱(くつきもとつな)は1549年に、滋賀県西部(湖西)の高島郡朽木村で誕生した。
父は近江・朽木谷城の朽木晴綱。母は公家・飛鳥井雅綱の娘。
朽木村は山間の荘園で、俗に朽木谷と言われた。
安曇川上流の渓谷に沿った谷盆地だが、京都に近いこともあって、若狭と京都を結ぶ若狭街道が貫通する交通上の要衝であり、北陸の海産物が京へ運ばれた。


スポンサーリンク



1550年、朽木氏の本家である高島家の高島越中守と高島郡河上荘俵山で合戦となり、父・朽木晴綱が討死。
朽木元綱は、僅か2歳で家督を継いだ。

1553年、室町幕府13代将軍・足利義輝が、三好長慶により京都を追われると、父同様に朽木谷に匿い、1558年まで滞在した。

1566年、浅井長政が近江高島郡に侵攻すると降伏して、人質を差し出した。
また、1568年12月には浅井久政・浅井長政の父子と起請文を交わすも、足利義昭から「朽木谷を安堵する」との沙汰を受けたことから破棄している。

1569年、将軍・足利義昭が三好三人衆に襲撃されると、朽木元綱は兵を出して足利義昭のもとに駆けつけている。
1570年、織田信長朝倉攻めを行った際に、浅井長政が織田家を裏切ると、松永久秀の説得を受けて織田信長の京都撤退(朽木越え)を支援した。
1571年、織田信長に仕えて、佐和山城主・磯野員昌の与力、その後は織田信長の甥・津田信澄の与力に加わった。この際、高島郡の代官に就任。
しかし、1579年、代官を罷免されているが、理由は不明。


スポンサーリンク



朽木元綱の正室は、将軍・足利義晴の猶子である尭慧(ぎょうえ) の娘。
1582年、嫡男・朽木宣綱が誕生。
明智光秀による本能寺の変で織田信長の死後は、豊臣秀吉に仕えて、伊勢安濃郡・高島郡内に2000石を与えられ蔵入地の代官も兼ねた。
1583年、柴田勝家との賤ヶ岳の戦い、1584年、徳川家康との小牧・長久手の戦いにも参陣。
1590年、北条家への小田原征伐(小田原攻め)にも参加し、朽木谷城20000石を安堵されたうえ、豊臣姓を下賜され、従五位下河内守に叙された。

1592年からの朝鮮出兵では渡航せず名護屋城に駐屯した。

1599年、次男・朽木友綱が誕生。
豊臣政権は徳川家康石田三成が対立。

1600年、関ヶ原の戦いでは、大谷吉継に従って西軍に属し600の兵にて布陣したが、朽木元綱は東軍の藤堂高虎京極高知を介して内通を申し入れていた。
本戦では様子見を行い、突如東軍に寝返った小早川秀秋に呼応して脇坂安治小川祐忠赤座直保らと共に大谷隊の側面を突いた。
戦後、通款を明らかにしなかったとの理由により9500石に減封されたが、のちに没収分は返還されている。
ちなみに小川祐忠・赤座直保は所領没収。

1605年、3男・朽木稙綱が誕生。


スポンサーリンク



大坂冬の陣、大坂夏の陣にも、嫡男の朽木宣綱とともに参陣。

1616年、隠居して剃髪し「牧斎」と号した。
1632年、朽木谷城にて死去。享年84。

遺領は3人の息子に分割された。嫡男・朽木宣綱の朽木宗家は6470石、朽木友綱2015石となり旗本に、朽木稙綱は1100石となった。
この3男・朽木稙綱は、将軍・徳川家光に仕えて若年寄となる出世をし、最終的に土浦藩30000石までなった。子孫は丹波福知山藩主として、明治維新まで存続している。

もし、朽木元綱が織田信長を助けていなかったら?

織田信長が浅井長政に裏切られた際、木下藤吉郎(羽柴秀吉、豊臣秀吉)が殿を務めて防戦し、織田信長が命からがら京都に撤退したのは有名だが、その撤退時に朽木元綱の手助けを得て、朽木谷を無事に通過して京に逃れた。
下記は朽木城近くにある、信長の隠れ岩の入口。

信長の隠れ岩

しかし「もし」この時、朽木元綱が織田信長に協力していなかったら、どうなっていただろうか?
もし、朽木元綱が武力を持って、織田勢の通過を防いでいたら、浅井・朝倉連合軍が織田勢を背後から襲い、木下藤吉郎や織田信長が共に討死していたかも?知れない。
こんなところで、木下藤吉郎や織田信長が早くも命を落としていたら、その後の「天下」はなったのだろうか? はてまた長い戦国時代となったのだろうか?と、妄想してしまう。

朽木城(朽木陣屋) 朽木西山城
磯野員昌~織田勢に肉薄した近江の猛将と磯野行尚
松尾山の小早川秀秋陣跡~登山道と駐車場の紹介【関ヶ原の史跡】
小川祐忠とは~関ヶ原のあと相模・津久井に移り住んだのか?【関ヶ原の寝返り武将】
脇坂安治とは~ひっそりと森の中にたたずむ脇坂安治の陣跡【関ヶ原の史跡】
朽木氏岩神館 旧秀隣寺庭園 朽木元綱
赤座直保とは~東軍に寝返るも事前通告していなかった為所領没収となる

コメント

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。