村上義明(村上頼勝) 村上義清の子孫か?大名として村上藩主になる

村上義明(村上頼勝)

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村上義明(むらかみ-よしあき)と言う、これまた「謎」もある戦国武将がいます。

村上義明と聞くと、ピンと来る方も多いかと存じますが、葛尾城主・村上義清と関係があるのかと感じます。
ただし、史料などから、村上義清の子となりますと、村上義利、村上義勝、村上義照、村上義邦、村上国清(山浦景国)の名が見受けられますが、義明と言う名前は見つかりません。

それもそのはず、今回ご紹介する村上義明は、生年不詳で、出自は不明です。

一説には、村上常陸介義利の嫡男とされます。
この場合、村上義清の長男・村上義利の子と言うことになりますが、村上義利は1555年の第2次・川中島の戦いにて無理したようで、討死しています。
村上義清が武田信玄によって追われ、越後の上杉謙信を頼って逃げたのが1553年です。
1555年で計算しますと、村上義清は51歳ですので、討ち死にした村上義利は、単純に考えて30歳くらいだったのか?と推測できます。
となりますと、子がいてもおかしくないですね。

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別の説では、純粋の村上義清の次男が村上義明だとするものもあります。
村上義清は1573年に、糸魚川の根知城にて死去(73歳)しており、上杉景勝に仕えていた村上国清(山浦景国)が、1582年に武田勝頼が自害したあと海津城を任されています。

別の説では、実父は戸田勝成で、母が村上義清の娘とする場合もありますが、これはのちに村上家を継ぐ、戸田忠勝(村上忠勝)の父が戸田内記で、その母が村上義明の娘であるため、混同したものと推測します。
これらを考えますと、可能性としては、村上義利の子であるほうが確率は高いように感じます。

村上義明は上杉家ではなく、12歳の若狭で丹羽長秀の家来に加わっていた模様です。
正式な名前は、村上頼勝(むらかみ-よりかつ)と言い、諱(いなみ)が、村上義明、または村上忠勝と言うことになります。
この記事では、村上義明と統一して記載させて頂きます。

村上義明は丹羽家ではそれなりに重用されており、1579年には加賀・小松城の城主となっています。
しかし、1585年に123万石の丹羽長秀が死去すると、跡を継いだ丹羽長重豊臣秀吉の反感を買い、若狭15万石と減封され、重臣の長束正家大聖寺城溝口秀勝、そして村上義明も一時所領を失いました。
ただし、村上義明(村上頼勝)は、6万6000石を与えられています。
その後、溝口秀勝と共に豊臣秀吉の直臣となり、北ノ庄城に入った堀秀政に与力として協力しました。
このように、豊臣家の家臣として、羽柴秀吉に認められておりますので、それなりに優秀な武将だったのでしょう。

天正15年(1587年)には九州攻めにも参加し、1590年、小田原攻めでも、堀秀政に従った模様です。
その後、堀秀治の代になっても、引き続き与力を努めました。

1592年、朝鮮攻めでは、肥前・名護屋城に2000を率いて駐屯したほか、伏見城と大和・多聞山城の普請(工事)に携わっています。
という事は、真田昌幸真田幸村とも面識があったことでしょうが、かつては敵ですので、言葉は交わさなかったのかも知れません。

慶長3年(1598年)4月、堀秀治が越後・春日山城に転封となると、村上義明は小松城から越後・本庄城(のちの村上城)に9万石にて加増移封となりました。
8月に豊臣秀吉が死去すると、遺品として左文字の刀を受領し、村上城では櫓や堀などの改築が始まっています。

村上城(本庄城)

重臣としては、吉武右近が越後・安田城を任されています。

1600年、関ヶ原の戦いでは越後にて堀秀治と同じく徳川家康に味方しました。
そのとく、上杉旧臣による上杉遺民一揆(越後一揆)の鎮圧に携わり、徳川家康から所領を安堵され、村上藩が成立しました。

なお、村上義明(村上周防守)は男子に恵まれず、堀秀政の3男・村上但馬守義忠を養子に迎えていましたが22歳で死去します。
そのため、村上頼勝の娘が嫁いでいた戸田内記の子である戸田忠勝(村上忠勝)を養子にして、隠居しました。
ちなみに、戸田内記は、関ヶ原の戦いで父・戸田勝成と共に、大谷吉継隊に属して奮戦し討死しています。

隠居していた村上義明(村上頼勝)は、慶長9年5月28日(1604年6月25日)に亡くなったとされます。


不確定ではあるが、新潟県村上市の地名由来は、村上義明が本庄城を「村上城」と改名したからとも言われています。
桓武平氏秩父氏の一族が、本庄氏を称し、本庄繁長などが本庄城を長らく本拠としていたのに習って、村上義明が村上城と改名し、地名も村上になったのだと思えてなりません。

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