徳川家康の影武者~世良田二郎三郎元信


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 戦国大名の多くは特に戦場において、命を奪われぬよう「影武者」を仕立てた事で知られるが、徳川家康も影武者を多用したとされる。
 そんな事から、徳川家康は一般的に知られている晩年まで生きておらず、途中で亡くなった為、影武者が徳川家康を演じたとする説もある。

 徳川家康関連の影武者説では、1560年の桶狭間の戦いにて、今川義元が討たれた際、徳川家康の父・松平元康が家臣の阿部正豊に暗殺された為、3歳だった徳川家康(竹千代)が成長するまで、世良田二郎三郎元信に松平家の家督を代行させたとする説の他、下記の様々な説がある。

 1600年、関ヶ原の戦いの際に徳川家康が討たれた為、影武者が徳川家康の代役に立てられたとする説。
 大坂夏の陣で、真田幸村の本陣突撃を受けて、逃亡中に後藤又兵衛の槍を受けて、重症となった徳川家康が堺の南宗寺で死亡し、徳川家康の代役として小笠原秀政が徳川家康に成りすましたとする説。堺の南宗寺には「家康の墓」と称されるものがあり、徳川秀忠・徳川家光が上洛した際に、自ら参拝している。

 世良田二郎三郎元信については下記の通りだ。

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 世良田二郎三郎元信の母親は、諸国を流浪する「道々の者」である、ささら者(賤民)の娘・於大で、父親は父親は新田氏嫡流(新田氏支流江田氏)で下野国都賀郡小野寺村出身の「江田松本坊」という時宗の祈祷僧だとされる。
 1542年12月26日に駿府の宮の前町で生まれ「国松」と名付けられたが、父・松本坊は直後にどこぞやに出奔したとしている。
 母・於大は生活に困り、有度郡石田村の富士見馬場にある久松土佐の家に再嫁した。
 そこで、異父弟の三郎太郎康元が生まれると、於大は生母で祖母にあたる源応尼に国松の養育を頼んだという。
 そして国松は東照山円光院の住職・智短上人の門に入って「浄慶」と改名。
 しかし今川家の菩提寺で殺生禁断の地とされた増善寺山内で小鳥を捕らえたため破門され、浄慶は駿府を放浪した。
 その駿府で又右衛門という男に攫われて、子供を欲しがっていた願人の「酒井常光坊」に銭五貫で売られたという。
 成人した浄慶は、1560年に「世良田二郎三郎元信」と名乗る。
 実父の松本坊が新田氏の末裔と称していたため、世良田姓を名乗ったとされる。
 そして、1560年4月の桶狭間の戦い直前、世良田二郎三郎元信は、松平元康の嫡男で駿府に人質としてあった竹千代(のちの松平信康・徳川家康)を誘拐して、遠州掛塚に逃走。
 これが原因で、源応尼は1560年5月6日に処刑されたとされる。

 そして桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、その混乱に乗じて世良田二郎三郎元信は同志を集めて浜松城を占拠。
 さらに勢いに乗じて三河を攻略しようとしたが、松平元康に敗れて尾張に逃れた。
 織田信長は水野信元を使者にして、松平元康に今川家から離反するよう説得したが断ったため、怒った織田信長は、世良田二郎三郎元信に命じて松平元康を攻撃させた。
 しかし、織田信長は世良田二郎三郎元信を本格的に支援せず、孤立した世良田二郎三郎元信は松平元康に降伏して、竹千代を松平元康に返還する条件で罪を許され、竹千代の家臣になったとされる。
 しかし、この伝説には疑問点も多く、松平氏の先祖を粉飾するための伝説とされている。

 隆慶一郎作の小説・影武者徳川家康においては、世良田二郎三郎元信は、火縄銃を片手に戦場を駆ける野武士となった。三河一向一揆で本多正信と共に戦うなど、三河をはじめ数々の一揆にささら者を率いた傭兵として参戦し名を馳せ、特に1576年の摂津石山本願寺での戦いでは織田信長を狙撃して負傷させたため「信長を撃った男」として有名になったとされる。
 その後、紆余曲折を経て後北条氏の下人となっていたところを本多正信に発見され、以降、徳川家康の影武者を務めた。
 徳川家康とは知識からものの考え方までも似ており、関ヶ原合戦の本戦に際して西軍の布いた鶴翼の陣を見分して「西軍の勝ち」という分析をしたほどだとされる。
 後継者や権力を巡る争いの中で、徳川秀忠や井伊直政藤堂高虎らに命を狙われた。

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