関口氏経とは~井伊家へ目付として送られた謎が多い今川家臣と蜂前神社

  • HOME
  • 今川氏
  • 関口氏経とは~井伊家へ目付として送られた謎が多い今川家臣と蜂前神社

関口氏経(せきぐち-うじつね)は、今川家の家臣で生没年は不詳。

今川家の関口氏と言うと、駿河・持船城主である関口親永(関口刑部少輔親永)が良く知られるなど、今川一門であり有力家臣となる。

この関口氏経(関口越中守氏経)は、沢田長門守、獅藤掃部助らと今川義元の近習であったとされているが、関口家の本家ではなく分家(庶流)と考えられる。
他にも関口と称する武将は、関口氏教、関口氏安などがあるが、本家との関係は定かではない。


スポンサーリンク


いずれにせよ、関口氏経(関口越中守)は、今川家が派遣した井伊家の目付となっていたようで、今川家の意向を井伊家に伝えて実行させる役目を担っていたようだ。
そのため、井伊家家老・小野政次(小野道好)を重用したのも関口氏経と考えられる。

そして、1560年の桶狭間の戦いにて関口氏経は討死したとする説もあるが、これは関口越中守なる武将が桶狭間で討死したあることから来ている。
ただし、のち今川氏真の治政となっても、関口氏経が引き続き井伊家の目付をしていたようで、1568年11月9日に井伊谷にで発行された徳政令に、この関口氏経と次郎直虎の2名が連署して蜂前神社に伝えている。

次郎直虎の署名と花押

この次郎直虎が井伊直虎だとする説があるが、最近は異説も出ている。

井伊直虎は「男」だったのか?~新説と見解をご紹介ご意見も募集

なお、新野左馬介(新野親矩)の兄が関口氏経(関口越中守)であるとする説もあり、このように関口氏経に関しては、不明瞭な点が非常に多い。

2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主・直虎」では、矢島健一さんが演じる。

※諸説ありますのでご確認申し上げます。

蜂前神社

蜂前神社(はちさきじんじゃ)は、気賀の「大河ドラマ館」からクルマで5分ほどの場所にある。
都田川にある井伊直親の墓からは約1km(徒歩12分)ほどの距離で、戦国時代は祝田村であったようだ。
当方のオリジナルGoogleマップにて、駐車場がある場所もポイントさせて頂いている。

蜂前神社

直虎の花押が入った書状は、ここ蜂前神社に伝わるものしか現存していない。

蜂前神社

境内に足を踏み入れた際、木を登っていく小動物が見えた。
写真に納めようと、木をグルッと反対側に回ってみたが、私の動きを察して、その動物も逆に回って隠れてしまうので、なかなか賢い。
そのため、撮影はできなかったが、灰色でしっぽが長い動物であったため、鎌倉でも多い「タイワンリス」のような感じを受けた。
蜂前神社の場所は、徳川家康武田信玄が戦った三方ヶ原の戦いとなった台地の北の外れてもあるが、自然が豊かだと感じた瞬間であった。

井伊直虎とは~おんな城主になった訳と次郎法師のまとめ【2017年大河ドラマ】
桶狭間の戦い「わかりやすく解説」現地写真あり~桶狭間古戦場跡・桶狭間合戦
龍潭寺と南渓瑞聞【井伊直虎の良き相談相手】井伊家発祥の井戸も
井伊直親とは~そして井伊家を救った新野親矩と松下清景の生涯
松下源太郎とは~井伊直政の母が再嫁した松下清景と井伊家の関係
小野道高・小野道好・小野朝之【井伊家の重臣である小野家
今川氏真と言う武将の才覚をわかりやすく【どうする家康】滅亡を防ぐために足りなかったものは?
徳政令とは?~3分でわかる徳政令の意味と問題点
井伊谷や直虎ゆかりの観光スポット・Googleオリジナル地図
井伊直虎ゆかりの地を観光するお勧めスポット【おんな城主・直虎】

コメント

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。