実際の今川義元は凡将だったのか?~本当の今川義元は?


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駿河・今川義元は寸胴短足で馬に乗ることができず、合戦の時なども「輿」に乗り移動したと言われているが、その記述がある資料は江戸時代中期に書かれた物で、信憑性は極めて低い。
今の世でもそうだが「勝者」は抵抗勢力・敵勢力を「自分より能力が上だ」と評価することは少なく、勝った者がその戦を正当化したり自分の強さを誇張する為に、「負けた者」はひどく言われたり、悪人と書かれたりするものだ。
今川義元は幼少より大原雪斎に師事し、賢政を布いて駿河・遠江・三河100万石の一大強国を作り上げた点から見ても凡庸ならぬ才を持っていた事は明らかであり、歴代今川家の大名でも政治・外交・指導力には優れた人物である。
実際には馬に乗ることができたが、桶狭間の戦いでは急に雨が降った為、「輿」に乗って移動していたのか、もしくは、雨を避ける為、輿の中に避難していたと考えるのが自然かもしれない。
いずれにしても、この時すでに大原雪斎は存在しなく、適切な進言ができる部下がいなかったとも言える。
実際、今川家臣団の忠誠は他大名家と比較して低かったようで、家臣が野望を持っていたのか、不忠の士だったのかと言うことが、今川義元の戦場での武運に影響したのかも知れない。

今川義元は甲斐、相模、駿府の三国同盟を天文23年(1554年)3月に結んだ。
そして、6年間着々と軍を整え、永禄3年(1560年)5月に西上を開始したと言われる。
今川義元は出陣日の厳守、陣中における喧嘩・口論の禁止、狼藉の禁止、攻城法心得などの軍規を定め、更に来年購入する武具の調達を大井掃部丞に命じている。

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軍の規律を整える辺りは、武田信玄も良く行っていることだ。
正直、武田氏・北条氏と同盟を結んでいると言っても、背後は不安が残る。また、仮に織田信長(推定兵力3000)を倒しても、美濃の斉藤義龍(推定12000)、南近江の六角義賢・義弼親子(推定兵力10000)などが敵対するのは必定。
他にも足軽兵が強い浅井なども途上にいる。

その為、今川の西上軍25000名と言えども、敵勢力を3つも撃破する必要性があり、京にたどり着けるか疑問が残る。
そして、出陣前に諸大名に手紙を出した形跡がなく、外交戦略が全くないままの西上である。
よって、今川義元は西上と言うよりは、まず石高豊かな尾張にて急に台頭してきた織田信長を打破をしに行き、まずは尾張を手に入れようとしたのではと小生は考える。
尾張を手に入れないと、美濃の斉藤義龍、南近江の六角義賢・義弼親子などと戦うのに補給線も心配であると小生は考えるが、今では今川義元の考えを知る由はない。

今川義元 もご覧頂けますと幸いです。
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コメント

    • 志田 新平
    • 2017年 1月 14日

    いつも楽しみに記事を拝読させてもらっています。
    自分も今川義元を凡将というのは可哀想だと思っていたので(三カ国を維持している時点で有能なんでは)とても共感できました。その今川義元を信長が討ち取ったから信長の名声が上がったんだろうな、と。
    信長の野望・戦国立志伝でも政治は90を超えていましたし。
    少し質問なのですが、記事に中に足軽が強い浅井、とありましたが、はじめて知ったのでびっくりしました。何故、浅井の足軽は強いんでしょうか?

    • 高田哲也
    • 2017年 1月 14日

    志田さま、いつもご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
    足軽が強いと言う事は、その足軽兵を統率する武将が優れていると言う事が言えるかと存じます。
    実際に、姉川の戦いの際に、織田信長の本陣にあと少しまで、何度も迫ったのは、浅井家の中でも騎馬隊などではなく足軽兵だったようです。
    そして、浅井の家臣団には磯野員昌、藤堂高虎などと言う優秀な足軽大将も見受けられます。

    • 志田 新平
    • 2017年 1月 14日

    なるほど、足軽が精鋭というより率いる将が有能というわけですね。
    強いことで有名な上杉兵や島津兵も、お国柄というより率いる将の強さなのもかもしれないと思いました。
    ご回答ありがとうございました。

  1. 2015年 11月 12日

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