根津甚八、祢津甚八郎(真田十勇士)


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根津甚八さんと言うと、どうしても、著名な俳優・根津甚八さんを連想する方も多いかと存ずるが、ここでは真田十勇士の根津甚八についてご紹介したい。

真田十勇士に登場する根津甚八(ねづじんぱち)の姓は、滋野三家(海野・禰津・望月)の根津である。

禰津小六(根津貞盛)と言う、真田幸村の家臣である実在武将がモデルとされているが、その禰津小六は禰津政直の子として1569年に誕生したと推定されている。
別のモデル説では、大阪夏の陣にて二の丸の東を守備し討死した浅井長政の養子?だった浅井井頼とも。

真田十勇士の話では、大和絵師だった父とともに旅に出て死別したあと、丹波の豪族の屋敷に居候をしていたことがあり、その後、海賊に転じて、海賊の頭領となった。
上田城を離れていた筧十蔵が、根津甚八の下で世話になっており、筧十蔵とは義兄弟の契りを交わしている。

真田幸村が、豊臣秀吉のもとに人質としていた際、九鬼嘉隆の九鬼水軍の情勢を探索するよう命じられ、真田幸村が熊野灘に赴いた際に巡り会い、十勇士に名を連ねた。
穴山小助とともに関ヶ原の戦い大坂冬の陣・大阪夏の陣にて活躍し、真田幸村の影武者となるが大坂夏の陣にて「真田幸村なるぞ」と名のって奮闘し、徳川勢に討ち取られた。

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祢津甚八郎貞盛

改めて祢津貞盛(祢津甚八郎貞盛)の説をもう1つご紹介すると、祢津信光の次男で、真田昌幸に仕えたようである。
同じ一族の祢津政直が、長篠の戦いのあと出家したとされるため、その辺りから「旅に出た」と言う話になったのだろう。

武田勝頼が亡くなったあと、父・祢津信光は真田昌幸と不和になったが、祢津甚八郎は引き続き従い、1582年に上野で北条家と戦った際に、14歳で初陣を果たした。
1583年には、真田昌幸に従って埴科の虚空蔵山城にて上杉景勝と戦い、祢津甚八郎は上杉勢を打破る活躍をし、僅か15歳ながら野戦では群を抜く豪勇を誇った。

1585年、矢沢頼綱沼田城にて北條家と戦い、沼田城を守っている。

1586年、徳川家と北条家の和議で、祢津甚八郎も信濃へ赴いたが、この頃より真田幸村の小姓たちと行動をともにするようになったようで、郎党に仲間入りした。
特に海野六郎兵衛とは行動をともにすることが多くなったと言う。
1589年、21歳のとき、真田幸村の小田原攻めにも従軍。

1590年、真田幸村が大阪城へ人質として赴く際には、小姓らと従い、その後も真田幸村と行動を供にした。

上杉景勝への人質でありながら、豊臣秀吉から豊臣信繁という名や、官位・左衛門佐まで与えられた真田幸村が、ある日、豊臣秀吉かせ九鬼水軍の情報を探索することを命じられたとされる。
こうして、熊野灘に赴くと、祢津甚八郎は自身が海賊に身を投じて、情報収集するうちに、その首領にまでなったとされる。
そのため、真田十勇士でただ1人の海の専門家となり、更に根来衆を率いることとなったので、吹き矢を得意とした戦術にて、潮の中を縦横無尽に戦ったとされる。

なお、真田三代記によると、九鬼水軍の動静を探りにきた真田幸村と祢津甚八郎は出会い、その器量に惚れ込んだ真田幸村が祢津甚八郎を家臣に取り立てたとされている。

1600年、32歳のときの関ヶ原の戦いでは、真田幸村とともに上田城にて籠城。
その後、海野六郎兵衛と奥州を探索し、由利鎌之助とは喧嘩友達となった。

1614年、大阪の陣では真田幸村とともに大阪城へ入り、1615年、大阪夏の陣では穴山小助が総指揮を取った7人の影武者に加わり「火龍軍」と名づけた突撃隊を編成した。
穴山小助を筆頭に、伊藤団右衛門、三浦新兵衛、鵤幸右衛門、林源次郎、山田舎人、木村助五郎、望月六郎兵衛らと波状攻撃を行い、祢津甚八郎が最期の1人として奮戦。
自ら「真田左衛門佐幸村、ここに討死いたす」と叫び、加賀前田家の家臣・本多安房守に討たれ、壮絶な最期を遂げたとされる。45歳。

ちなみに、俳優の根津甚八さんの本名は、根津透さんと言うが、山梨県都留市の出身であり、この芸名が真田十勇士の根津甚八に由来しているのは言うまでもない。
うつ病を患い、椎間板ヘルニアが悪化してからは、惜しまれつつ俳優業を引退している。

<追記>

俳優・根津甚八さん(本名=根津透さん)が肺炎のため、2016年12月29日昼に死去されたとの事です。69歳でした。
慎んでご冥福をお祈り申し上げたいと存じます。

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