信松院(しんしょういん)~松姫ゆかりで女性にも人気の八王子の寺院


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 信松院(しんしょういん)は、1590年に、武田信玄の娘である松姫は、武田滅亡後、心源院にて武田家などの菩提をと弔っていたが、徳川家康が関東に入ると、八王子を知行した武田旧臣の大久保長安によって、八王子御所水(八王子市台町)の草庵を移転した。
 その地に「信松院」が創建されたものとされる。

 

 松姫は、武田家と織田家の同盟のため、1567年、7歳のとき,織田信長の嫡男・織田信忠11歳と婚約。
 しかし、1573年に武田信玄が駿河へ侵攻すると、三方ヶ原の戦いとなったため、婚約も自動的に破棄された。

 織田家の跡取りであった織田信忠と松姫は手紙のやり取りをしたとされるが、戦国の世の悲劇により結ばれることなく、その後の縁談も断り、尼となって一生を終えた松姫に共感する女性が多く、この信松院は歴女にとっても欠かせない観光地となっている。

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 武田信玄の没後である、1582年に織田信忠率いる大軍が甲斐へ攻め込んだ際、松姫は高遠城から新府城を経て、苦難の逃避行の末、この八王子に安住を求め、八王子城北条氏照の庇護を受けた模様だ。
 そして、松姫は、北条氏照の祈願寺であった心源院に移って出家、そして、信松尼は1590年に現在の信松院の地に草庵を移した。

 信松尼は旧武田家臣が多かった八王子千人同心の心の支えとされ、また八王子での養蚕や絹の織物の発展にも貢献。
 子どもたちには手習いなども教えて暮らしたと言う。

 1611年、第2代将軍・徳川秀忠の4男を、側室のお静の方(お志津の方、浄光院)が武州安達郡の大牧村(浦和市)にて産んだが、これは江戸城北の丸にいた松姫の姉である見性院(穴山信君の未亡人)が自分の領地である大牧村(1000石)に連れて行き、出産を手助けした経緯がある。
 これには、最初にお静の方が身ごもった子は、徳川秀忠の正妻・於江与の方(お江)の悋気に触れて、水に流れてしまった事もあったからの処置であり、生まれた庶子は江戸城から離れた場所で、見性院が養育し、一時、八王子の信松院でも松姫も預かって養育を行った。

 松姫は1616年に死去したが、この庶子は1617年、旧武田家臣の信濃高遠藩主・保科正光が預かると、のち高遠藩を継ぎ・保科正之と称した。
 松姫らが手助けしたこの保科正之は会津中将として、のち会津藩23万石となり、その子孫には幕末に活躍した松平容保らがいる。

 

 信松院は、1945年(昭和20年)の八王子空襲にて、焼失はまぬがれたが、松姫が植えたとされている「松」が枯れてしまっている。

松姫についてはこちら
八王子の史跡・史蹟一覧~八王子城・滝山城からマイナー館跡まで
 

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