井出の沢の戦い【中先代の乱と町田・菅原神社】

井出の沢の戦い(井手の沢の戦い)は、1335年の南北朝時代に、北条時行鎌倉幕府再興のため挙兵した「中先代の乱」のなかでの古戦場となります。
鎌倉幕府が滅亡したあと後醍醐天皇の「建武の新政」となると、1333年、新田義貞後醍醐天皇の倒幕運動に協力し、鎌倉を攻めて執権・北条家を滅ぼします。
1333年12月にには、足利尊氏の弟・足利直義が執権となり、後醍醐天皇の皇子・成良親王を奉じて鎌倉へ入り「鎌倉将軍府」が成立しました。

しかし、建武政権は武家の支持を得られず、旧鎌倉幕府の残党などが各地で蜂起します。


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1334年11月には、建武政権で足利尊氏と対立していた征夷大将軍・護良親王が失脚し、鎌倉にて幽閉されます。

そんな折り、1335年7月、信濃に逃れていた鎌倉幕府第14代執権・北条高時の次男である北条時行(ほうじょう-ときゆき)(10歳前後)を擁立した諏訪頼重、諏訪時継や滋野氏が挙兵し「中先代の乱」となります。

青沼の戦いにて小笠原貞宗を撃破すると、不満を持つ武将が加わりながら武蔵に入り、7月20日頃、女影原(日高市)にて渋川義季と岩松経家らと戦い勝利。

さらに小手指ヶ原(所沢市)で今川範満を破り、武蔵府中では小山秀朝を破るなど破竹の勢いで鎌倉を目指します。

そして、鎌倉から出陣した鎌倉将軍府の執権・足利直義と、町田村の井出の沢にて、ついに決戦となります。

井出の沢は、現在の町田市本町田を流れる恩田川周辺と考えられ、菅原神社に足利直義が本陣を構えて、鎌倉街道を南下する北条時行勢を迎撃したと考えられています。

しかし、足利直義は敗れて、鎌倉に敗走すると、足利尊氏の子で幼い足利義詮や、後醍醐天皇の皇子・成良親王らと逃亡しました。
この時の7月23日、土牢に幽閉されていた護良親王は、足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害されました。

7月24日には、援軍として赴いた佐竹義直も鶴見にて討死し、25日に北条時行は鎌倉に入り、一時的に支配しました。

京都にいた足利尊氏は独断で討伐軍を発し、辻堂・片瀬原の合戦にて、敗れた北条時行らは1335年8月19日に鎌倉から逃亡しています。


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北条時行らが鎌倉にいたのは僅か20日余りですが、先代の執権・北条家と、後代の足利家が鎌倉を支配した間であることから、中先代の乱(なかせんだいのらん)と呼ばれています。

勝利して鎌倉に入った足利尊氏は対立関係にあった新田義貞の所領を勝手に没収し、鎌倉にて独自に恩賞を分配するなど自立の意思を示して、後醍醐天皇の命を無視するようになります。
そのため、11月、後醍醐天皇は新田義貞と尊良親王の討伐軍を送り、足柄峠の麓での竹ノ下の戦いとなりますが、足利尊氏が撃退します。

そして、足利尊氏は京都へ進軍すると、1336年1月、後醍醐天皇は比叡山へ退いて、のち吉野にて南朝政権(吉野朝廷)を樹立し南北朝時代となったのです。

と言う事で、井出の沢合戦にて、足利直義が本陣を構えたと考えられ菅原神社、今でも朝夕には渋滞する鎌倉街道のすぐ脇にあります。

菅原神社前の鎌倉街道

ちょうど、町田の台地から恩田川に下る、台地の先端にあり、鎌倉街道を南下する北条時行らを迎え撃つには、なかなか良い場所です。
しかも、鶴川街道への分岐点でもありますので、古来より交通の要所です。
中先代の乱での両軍の兵力や、主戦場も良くわかっていませんが、菅原神社の北側一帯で戦いが繰り広げられたのでしょう。

菅原神社の崖下

菅原神社の崖下には、上記のように「池」もありますので、水もある程度確保できていたようです。
今では湧水は、枯れてしまったようですが、昔は「名水」とだったとか。

井手の沢碑

上記は、境内の左奥にある井手の沢碑です。

菅原神社は永享年間(1429年~1440年)に、領主・大沢左近正次により創建されたとあり、大沢正次の祖先としては、1319年頃に大沢正純(大沢七郎正純)と言う名も見られます。
江戸時代に入ると、1630年、その子孫である大沢玄蕃が、新たに町田村の鎮守として社殿を建てました。

町田・菅原神社への行き方・アクセスですが、参拝用駐車場は下記の地図ポイント地点の場所となります。
縮尺は変えてご覧願います。

ここまできたら、町田駅近くの「泰巖歴史美術館」も大変お勧めです。

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