北条高時 鎌倉幕府の第14代執権の生涯を5分で

北条高時




北条高時(ほうじょう-たかとき)は、鎌倉時代の武将で、鎌倉幕府の第9代執権・北条貞時の3男として、1304年に生まれました。
母は安達泰宗の娘(覚海円成)です。

鎌倉幕府は、1274年と1281年に元(中国)の軍勢が来襲した「元寇」(げんこう)のあとで、恩賞を得られない御家人らの不満は募っていました。
尚且つ、代々執権を世襲してきた北条得宗家の権力も、舅の安達時顕や、内管領・長崎円喜と言った、北条家の一族である御内人が握っている状態でした。
このように、鎌倉幕府は内外に問題を抱え、父・北条貞時も次第に政務をおろそかにし、酒宴ばかりの日々になります。


覚久、菊寿丸と言った2人の兄も早世すると、1309年1月、父・北条貞時の命にて北条高時は、早々と元服式を執り行い、長崎円喜・安達時顕が補佐する形をとります。
1311年、幼い北条高時が成長するまでの、中継ぎで執権になっていた北条師時が急死すると、続いて父・北条貞時も亡くなります。
そのため、混迷を極めましたが、1316年、14歳になった北条高時は、鎌倉幕府の第14代執権となりました。
しかし、長崎円喜の子・長崎高資が権勢を握っており、1324年には、後醍醐天皇が倒幕を計画していたことも分かりると、鎌倉幕府は天皇の側近・日野資朝佐渡島に配流するなどしています。

闘犬、田楽、飲酒などにふけっていた北条高時は、1326年、病を理由に、執権職を辞任して出家します。
後継者問題では、長崎高資と、北条高時の正室である安達時顕の娘の実家である安達一族が対立し、北条一門は争いに巻き込まれました。
最終的には、長崎氏が推した北条氏庶流の金沢貞顕(北条貞顕)が、15代執権となっています。


しかし、反対する安達一族の多くが出家して、執権暗殺計画まで出て来たため、僅か10日ほどで辞任して出家しています。
誰も執権になりたいと言う武士がいないなか、引付衆一番頭人である赤橋守時(北条守時)が第16代執権に就任しました。
しかし、当然、権力は、内管領・長崎高資らに握られており、1331年、北条高時は、長崎円喜らを誅殺しようするも発覚する事件となりました。
更には、後醍醐天皇が再び鎌倉幕府打倒の兵を挙げて、河内・千早城では楠木正成が挙兵します。
鎌倉幕府は軍勢を出して鎮圧すると、1332年3月、後醍醐天皇を隠岐島へ配流し、側近の日野俊基らを処刑しました。

しかし、1333年閏2月、後醍醐天皇は隠岐を脱出して伯耆国の船上山で再度挙兵します。
今度は、鎌倉より足利尊氏・名越高家らを派遣しますが、赤松則村(赤松円心)によって名越高家が討死すると、足利尊氏は後醍醐天皇の味方へと反旗を翻します。
そして、六波羅探題を攻略し、更に関東では新田義貞が挙兵し、鎌倉へ進撃しました。


そして、新田勢の脇屋義助などが鎌倉へ侵攻すると、北条高時は鎌倉の北条執権邸鎌倉の北条執権邸から、北条家菩提寺の葛西ケ谷・東勝寺へ退きました。
そこで、北条高時は自刃しています。享年30(満29歳)。
同じく、執権・赤橋守時(北条守時)、金沢貞顕(北条貞顕)、安達時顕、長崎円喜・長崎高資・長崎高重、摂津道準、諏訪直性、安東聖秀など北条一族の多くも自刃して果てました。
太平記によると、自害した北条一族は283名とある、鎌倉幕府の滅亡でした。

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