前波吉継(桂田長俊)~朝倉家の重臣でしたが主家を裏切ったその顛末は?

龍門寺城

スポンサーリンク
スポンサーリンク

前波吉継(まえば-よしつぐ)は、朝倉家の重臣・前波景定の次男として生まれましたが誕生年は不詳です。

1565年頃に父が没したようで、兄・前波景当が家督を継いだようです。
この兄・前波景当(まえば-かげまさ)は、1568年5月に、足利義昭一乗谷の朝倉館を訪問した際に、朝倉家の年寄衆筆頭として挨拶・接待をしていますので、朝廷にも顔が効くかなりの家柄であったことが伺えます。
また、足利義昭が朝倉家を去って織田信長の元に向かうときには、前波景当が朝倉景恒と共に2000にて近江まで警護しました。
しかし、1570年11月26日、堅田衆の猪飼昇貞が織田家に寝返ったため、朝倉景鏡らと討伐に出陣し、坂井政尚を討ち取りますが、この堅田の戦いで前波景当が討ち死にしてしまいました。
そのため、次男だった前波吉継が家督を継ぎ、朝倉義景の奉行衆として活躍しており、姉川の戦いにも参じています。

 スポンサーリンク


しかし、1572年、織田信長浅井長政小谷城を包囲した際に、朝倉勢として派遣されていた富田長繁、毛屋猪介、戸田与次郎などと共に織田家に寝返ります。
前波吉継は白昼堂々と、織田勢の陣に入ったと言われています。
その後、織田家の朝倉攻めでは越前の案内役を務め、立て籠もる朝倉景鏡を攻撃して降伏させるにど、朝倉氏滅亡に一役かいました。

これらの功績により、朝倉家の滅亡後は一乗谷に入って政務をとり、京都に赴くと織田信長から越前守護代に任命され、名前も信長から一字「長」を貰い受けて桂田長俊(かつらだ-ながとし)と改名しました。
織田信長に駿馬「一段ノ早道」を献上したともありますが、改名後、越前に戻る際に病により失明したようです。

また、同じく旧朝倉家の家臣で、越前・龍門寺城主となった富田長繁が、織田家からの待遇の差に不満を抱いたようです。
富田長繁は、桂田長俊の圧政に苦しむ越前の領民を扇動し、1574年1月19日、総勢33000人の一向一揆を率いて一乗谷城を襲撃しました。

桂田長俊(前波吉継)は敗れて殺害され、桂田長俊の母、妻、嫡男は三万谷へ向けて逃げていましたが、、翌日に捕縛され殺害されています。

朝倉記によると「神明ノ御罰也」だと書かれており、失明したり一揆勢に殺害されたのは、朝倉家の祟りと噂されました。
信長公記では「大国の守護代として栄耀栄華に誇り、恣に働き、後輩に対しても無礼であった報い」とされており、桂田長俊の悪さも伺い知れます。


なお、兄・前波景当の子である前波勝秀は生き延びており、のち大阪城にて豊臣秀吉の御咄衆として仕えたあと、徳川家康に仕えたとあります。

越前・龍門寺城~前波吉継や不破光治が城主を務めた平城
不破光治と不破直光~戦国時代をうまく乗り切れなかった柴田勢
富田長繁とは~武勇に優れた猛将も一向一揆と家臣らの統制は失敗した?
姉川の戦いと遠藤直経~信長暗殺を進言した知勇兼備の謀将【姉川合戦場探訪】
朝倉景健 (安居景健)~姉川の戦いでの朝倉勢大将
朝倉景鏡~朝倉家を最後に裏切った筆頭一族
越前・亥山城~朝倉景鏡と杉浦玄任の本拠地
一乗谷城(一乗谷朝倉館)と一乗谷城の戦い~朝倉氏の栄華
小谷城の訪問記と小谷城の戦い~浅井家の滅亡・浅井御殿も

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でフォローしよう!

スポンサーリンク

関連記事

あなたの思いを下記に

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1. 立花誾千代とは立花誾千代(たちばな-ぎんちよ)は戸次鑑連(立花道雪)の一人娘として筑後(久留…
  2. 豪姫(ごうひめ)は、織田信長の家臣・前田利家の4娘として尾張・荒子城(愛知県名古屋市)にて1574年…
  3. 淀殿をご紹介する記事では、できる限り中立的な立場にて記載したつもりですが、父・浅井長政や、母・お市の…
  4. 1568年に誕生した愛姫(めごひめ)の父は、三春城主・田村清顕で、母は相馬顕胤(小高城主)の娘・於北…
  5. 常高院(じょうこういん)・浅井初(お初、於初)は、1570年に小谷城にて生まれた。父は小谷城主・…

人気の戦国武将

  1. 今治城(いまばりじょう)は、輪郭式平城で、別名は吹揚城、吹上城(ふきあげ)とも言います。海を活用…
  2. 今川義元(いまがわ-よしもと)は、1519年、駿河・遠江守護の今川氏親の5男として生まれた。幼名は芳…
  3. 【治国平天下 ~柳生新陰流 天下統御の剣・柳生石舟斎と柳生宗矩】柳生石舟斎・柳生宗矩と柳生一…
  4.  戦国時代最大とも言われる山岳戦となった三増峠の戦い。 武田信玄が勝利したとも、北条氏照が勝利し…
  5. 1582年6月2日の本能寺の変で織田信長を倒して明智光秀ですが、なかなか味方してくれる大名がいなく苦…
 スポンサーリンク

戦国グッズ通販

実際に鉄板も使用した本物志向「高級」甲冑型の携帯ストラップ
甲冑型ストラップ

戦国浪漫グッズ
戦国武将グッズ

自作甲冑キット新発売
甲冑自作キット
戦国浪漫「戦国グッズ」通販

メールでお知らせ

新規記事追加をメールで受信

ページ上部へ戻る