不破光治と不破直光~戦国時代をうまく乗り切れなかった柴田勢

龍門寺城主・不破光治

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不破光治

不破光治(ふわ-みつはる)は、美濃の守護大名・土岐頼芸の家臣で美濃・西保城主となります。
父は不破通直ですが、不破河内守光治の生没年は不詳です。

当初は反抗したものの斎藤道三の時代には、西美濃三人衆(稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就)と並ぶ斎藤家の有力家臣でした。
不破光治を併せて四家老と記載されている史料もあります。

美濃三人衆のように織田家から調略を受けたと言う記録は見つかりませんが、斉藤龍興の代となり稲葉山城が陥落した後は織田信長の家臣に列しました。

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織田家においては、伊勢河内攻めにも参じています。

また、 近江・小谷城浅井長政お市の方の婚儀においては、浅井家の家臣・安養寺経世と交渉に当たり、輿入れの際には内藤勝介と不破光治が、お市の方に付き添ったと言われています。

更に、朝倉義景一乗谷城にて保護されていた足利義昭の呼びかけに応じて、織田信長が上洛を決意すると、1568年7月、和田惟政・村井貞勝・島田秀満と共に足利義昭を越前との国境まで迎えに赴きました。

その後、 その後は永禄12年(1569年)8月の大河内城の戦い、1570年6月の小谷城攻め、9月の志賀の陣、元亀2年(1571年)9月の伊勢長島攻め、元亀3年(1572年)4月の交野城後ろ巻き、元亀4年(1573年)7月の槇島城の戦い、天正元年(1573年)8月の一乗谷城の戦いにも参陣していることが伺えます。

天正2年(1574年)には、越前の前波吉継桂田長俊)が龍門寺主・富田長繁によって殺害されたあと、羽柴秀吉や丹羽長秀らと敦賀へ出陣もしています。

そして、1575年8月、越前で発生した一向一揆の平定戦に参陣すると、越前の北ノ庄城柴田勝家が入ります。
この時、不破光治は佐々成政前田利家と共に越前・府中に入って、3名合計で10万石を受け、府中三人衆と呼ばれました。
不破光治は越前・府中城から近い、竜門寺城を居城としました。

龍門寺城

以後、柴田勝家の与力として行動し、上杉景勝が越中・小出城を包囲すると柴田勢として出陣しています。

しかし、この頃には、嫡男の不破直光も軍勢を率いていることがあり、父・不破光治の行動と混同されている部分が多々あり、よくわかっていません。
不破光治は1580年~1583年頃に没したと考えられています。


不破直光

不破直光(ふわ-なおみつ)も生年が不明ですが、不破勝光とも書かれます。
正室は北畠具教の娘で、父が亡くなると家督を継いで、府中三人衆のひとりとなっています。

1582年、明智光秀本能寺の変のあと、前田利家 ・金森長近らと羽柴秀吉との交渉役も果たしました。
賤ヶ岳の戦いでは佐久間盛政に属して柴田勢として大岩山砦を攻撃するなど奮戦しています。

その後、前田利家の家臣となっており、能登・末森城の戦いでは先鋒として佐々成政と戦いました。

弟の不破広綱(不破源六)は、小牧・長久手の戦いの頃には尾張・竹ヶ鼻城主でしたが、織田信雄に味方したため、羽柴秀吉による水攻めを受けて降伏したと言う記録があり、その後は兄を頼ったとされています。

慶長3年(1598年)8月15日に不破直光は金沢にて死去しました。

家督は側室の朝倉対馬守の娘が産んだ、不破光昌が継いでおり、加賀藩の重臣として4500石の大録となっています。

越前・龍門寺城~前波吉継や不破光治が城主を務めた平城
越前・府中城~前田利家や朝倉氏に所縁深い北陸道の要所
北ノ庄城(北の庄城)~北陸支配の柴田勝家とお市の方の居城
前波吉継(桂田長俊)~朝倉家の重臣でしたが主家を裏切ったその顛末は?
尾張・末森城 織田家と稲生の戦い
富田長繁とは~武勇に優れた猛将も一向一揆と家臣らの統制は失敗した?

 

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