上総広常の解説~源頼朝に最大勢力として味方した上総介広常

上総広常




上総広常とは

上総広常 (かずさ-つねひろ)は、平安時代末期の武将で、上総介広常(かずさのすけひろつね)と言う名前でもよく知られます。
房総平氏惣領家となる上総氏の3代・平常澄(たいら-の-つねずみ)の8男として、上総広常が生まれましたが、生年や母は不明です。
上総広常は平氏でしたが、河内源氏の棟梁である源義朝の郎党に加わっていました。
1159年、平治の乱では源義朝の長男・源義平に従って戦功を挙げています。
しかし、熊野詣から平清盛京都に戻ると、敗れた源義朝らは、東国を目指して逃れます。
源義朝は、尾張にて裏切られて命を落とし、源義平は捉えられて、六条河原で処刑されました。
上総広常は、房総に戻ると、平家に恭順しました。
しかし、1179年、平家の有力家人・伊藤忠清が、上総介に任ぜらたため、上総広常は対立し、平清盛から勘当されています。
そのようなこともあり、1180年、源頼朝山木兼隆を討って挙兵するも、石橋山の戦い大庭景親に敗れてると安房に入り、和田義盛が使者となって上総広常に味方するよう参陣を促しました。


従兄弟の千葉常胤源頼朝に味方するのに、少し遅れて、上総広常は2万騎の大軍を率い、隅田川にて源頼朝に合流していますが、これは、房総の平氏を駆逐していたとも考えられます。
こうして、最大兵力となった上総広常は、同族の千葉常胤と共に、再起を図る源頼朝を助けたことで、鎌倉幕府樹立に大きく貢献して行きました。
この時参じた、臼井成常、臼井久常、相馬常清、天羽秀常、金田康常、小権守常顕、匝瑳助常、長南重常、印東胤常、印東師常、伊北常仲、伊北常明、大須賀常信、大須賀時常、佐是禅師などのうち、多くは上総氏の血縁です。
吾妻鑑によると、このうち相馬常清は、上総広常の弟とあります。
また、結城浜の戦いに参じた、上総広常の軍勢に印東頼常の兄・長南重常と弟・四郎師常の名が見えます。

富士川の戦いのあと、上総広常、千葉常胤、三浦義澄らは、源頼朝に完全に従おうとしない、佐竹隆義の本拠地攻撃を具申します。
当時、佐竹隆義は、京都にいて不在でした。
常陸に入った源頼朝らは、まず、上総広常が佐竹義政と縁者だったため、矢立橋に呼び出して殺害しています。
そして、金砂城にて籠城した佐竹秀義を総攻撃し、熊谷直実、平山季重らの活躍で、花園城へ敗走させました。(金砂城の戦い)。

のち上洛した源頼朝は、後白河法皇に対して、東国を打ち従えることができたのは、上総広常を味方につけたため」だと話したとされます。


ただし、鎌倉幕府では、権力争いが絶えず、上総広常も標的にされます。

1183年12月、上総広常は、謀反を企てたとして、源頼朝は、梶原景時・天野遠景に暗殺を命じました。
愚管抄によると、梶原景時は、上総広常と「双六」(すごろく)を行っている間に、謀殺しています。
鎌倉の朝夷奈切通近くには、梶原景時が上総広常を討ったあと、太刀を洗ったと伝わる「梶原太刀洗水」があります。

嫡男・上総能常も自害させられ、広大な上総氏の所領は、千葉氏や三浦氏などに与えられました。


翌年、上総広常が無罪だったことを察した源頼朝は後悔し、上総広常の又従兄弟・千葉常胤が預かっていた上総広常の弟・天羽直胤や、相馬常清らを、釈放しています。
ただし、没収された所領が返還されることはなく、房総平氏の惣領の地位は、千葉常胤に移りました。
そして、鎌倉幕府においては、北条時政が権力を強めていくのです。

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、人気俳優の佐藤浩市さんが、上総広常を演じられます。

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査・研究している歴史人物研究家です。
自慢できるものはありませんが、資格は史跡訪問のための国内旅行地理検定2級、水軍研究のための小型船舶操縦士1級など。

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