三浦義澄のちょこっと解説~最初から源頼朝を助けた最大勢力(鎌倉殿の13人)

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三浦義澄

三浦義澄とは

三浦義澄(みうら よしずみ)は、平安時代末期の武将で、1127年、衣笠城主・三浦義明の次男として生まれた。
母は、秩父重綱の娘。
烏帽子親は、上総常澄。
1159年、平治の乱の際には、源義平に従っている。
1164年、相模・杉本城主だった兄・杉本義宗が亡くなると、三浦氏の家督を継いだ。
<注釈> 兄・杉本義宗の嫡男は和田義盛であったが、三浦宗家の家督は継げなかった。


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1180年に源頼朝石橋山の戦いで挙兵した際には、当初から父・三浦義明は協力姿勢を示し、子の三浦義村らも加勢に向かったと考えられる。
しかし、悪天候による酒匂川の増水などで遅延し、源頼朝が敗れたことから、本拠地・衣笠城に退却したあと衣笠城合戦(衣笠城の戦い)で、畠山重忠と戦った。

衣笠城

この衣笠城の戦いでは、父・三浦義明が討死している。享年89。
三浦義澄や三浦義村ら一族は、一旦「安房」に舟で逃れ、のち源頼朝らが合流した。

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また、三浦氏と対立していた、安房・金山城の長狭常伴一戦場にて討ち果たしている。


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房総に逃げていた源頼朝が再び蜂起すると、畠山重忠らも味方したため、三浦義澄や三浦義村らも従って鎌倉に入った。

なお、三浦義村の母の父・伊東祐親が捕らえらると、三浦家がその身を預かっている。
源頼朝は伊東祐親を許すが、伊東祐親は自分の娘と源頼朝の間に出来た子を殺害したことを恥じて、自害している。

父・三浦義澄は千葉常胤上総広常土肥実平らと源頼朝の重臣に抜擢され、三浦義澄と三浦義村は、一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦い、奥州合戦などでも戦功を挙げた。

1199年、源頼朝が死去すると、鎌倉幕府2代将軍・源頼家を補佐する「十三人の合議制」に三浦義澄の名がある。
1200年、梶原景時の変では、梶原景時の鎌倉追放に加担したが、梶原一族が討たれた3日後の1200年1月23日に、三浦義澄が病没。享年74。


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三浦義澄の墓

下記は、横須賀市の衣笠城近くにある三浦義澄の墓

三浦義澄の墓

詳しくは下記にて。

清雲寺の三浦氏三代の廟所・満昌寺の三浦義明廟所・薬王寺旧跡の三浦義澄公墳墓・腹切り松公園(横須賀市衣笠)

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、三浦義澄を俳優の佐藤B作さんが演じられます。
また、三浦義村のキャストは、山本耕史さんです。

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