松下常慶とは~謎の山伏も井伊家復興に大きく貢献する


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松下常慶(まつした-じょうけい)ですが、NHKの大河ドラマ「おんな城主・直虎」においては、当初「なぞの人物」として描かれるかも知れません。
井伊家伝記によると、普段は浜松城下に住んでいたようですが、遠州・秋葉山の御礼(おふだ)を諸国を巡って領布していたとされ、実際問題、謎が多いです。

実は、岡崎城下にいた頃から、松平元康(徳川家康)と接触があったようですので、松下常慶は徳川家の家臣であり、間者(偵察要員)として時には山伏の恰好をして旅をしていた模様です。
松下常慶の元の名は松下貞綱で、父は松下元綱(松下加兵次元綱)ともあります。
智短上人に師事した際に、剃髪して僧となり、浄慶と名を改めたようです。
そして、龍潭寺にも良く出入りすると、南渓和尚(南渓瑞聞)とも、情報交換をしていた模様です。
その成果があってか?、徳川家康引間城(浜松城)を攻める際には、わざわざ井伊谷を経由して軍を進め、作戦が成功しています。

そして、南渓和尚(南渓瑞聞)は、浜松・二諦坊の住職をしていた松下常慶に仲介を頼んで、幼い井伊直政(虎松)を、一度、浜松の松下家に住まわせて、のち徳川家康に目通りさせたともされています。

徳川家康が江戸城に入ると、松下常慶は徳川家の旗本として現在の湯小浜氏都筑区折本町付近を知行したようで、先祖を供養する観音様をもうけた山が、現在も「観音山」として呼ばれています。

諸国を巡っていた事から、城の縄張り(設計)の知識が豊富だった松下常慶は、その後、徳川家康が駿府城を築城する際に、普請の作事奉行を務めたようです。
二の丸にある東御門を、わずか10日間で完成させたことから、徳川家康より駿府城下にも屋敷と700石を与えたともあります。
このように、駿府城の建物としては「常慶蔵」がありますが、東御門は「常慶門」とも呼ばれ、このように松下常慶は屋敷も与えられていた事から、静岡市には「常慶町」と言う町名も残っています。

なお、徳川家康が駿府城に出入りする際に通行した門は東御門(常慶門)です。
石川五右衛門が、徳川家康の首を狙って身を隠したとされる門も東御門(常慶門)で、松下常慶が発見すると空を飛んで逃走したと言う話もあります。
のち紀州・和歌山城主となった徳川頼宣の家臣・安藤帯刀が、東御門(常慶門)の前に屋敷があったことから、帯刀(たてわき)御門とも呼ばれます。

お新香の塩加減

ある日、駿府城の奥女中らが「お新香が塩辛すぎるので、台所奉行に「塩分を少なめ」に言ってほしい」と、徳川家康に直訴したそうです。

徳川家康は深く考えずに約束してしまい、当時、台所奉行だった松下常慶(松下常慶入道)を呼んで申し伝えたそうです。

しかし、松下常慶は「今の塩加減でさえ女中たちはお新香をたくさん食べてしまうのに、もし塩分を控えれば、消費量がもっと増えてしまいます」と言い、徳川家康は「そのままにするように」と言ったとか、言わなかったとか?
もちろん、松下常慶は女中から「恨みをかった」と伝わります。

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そもそも松下氏とは?

さて、松下氏と言いますと、豊臣秀吉(木下藤吉郎)が少年時代に仕えた、松下之綱(松下加兵衛之綱)らを輩出した遠江・頭陀寺城主など、松下一族など色々とおります。
豊臣秀吉が織田信長に仕官する前に世話になった、この松下之綱は遠江・久野城主16000石となり、のち陸奥・二本松城主として5万石にもなっています。
ちなみに松下之綱の娘・おりんは、柳生宗矩に嫁いでいます。

この出世した松下之綱(松下加兵衛之綱)ですが、松下常慶の父とされる松下元綱(松下加兵次元綱)と、名前がなんだか非常に「似ている」状況です。
しかし、どうしても接点は見いだせていません。

なお、松下常慶の兄は松下清景(松下源太郎)であると考えられ、井伊直政を生んだ奥山親朝の娘(奥山朝利の娘とも?)が再婚した相手が松下清景となります。
この松下清景の弟が松下常慶と言う説もありますので、それを考慮しますと兄弟で、井伊直政が取り立てられるよう、尽力したものと考えられます。

念の為記載致しますが、松下常慶は松下安綱ともされますが、同一人物ではない可能性もあります。
松下常慶が父で、その子が松下安綱と言う感じも受けます。
松下安綱と落合蔵人の娘(正室かは不明)の間に生まれた5男・松下房利(まつした-ふさとし)は、小姓組番士として徳川家光に仕えており、のち900石で従五位下伊賀守にも叙任されています。
ご子孫は火付盗賊改方を務めてました。

このように良く分からない部分が多い松下常慶ですので、当然異なる見解もあって当たり前ですが、是非、皆様からも情報をお寄せ頂けますと幸いです。

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コメント

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  • コメント (2)

  1. 祖山和尚が叶坊光幡を松下常慶だと思い込んだことから話が曲がったと思われます。

    • 高田哲也
    • 2016年 8月 21日

    戦国未来さま、コメントありがとうございます。よく拝見させて頂いております。
    祖山和尚と叶坊光幡と言う事ですね。ありがとうございます。
    あまり存じない人物ですので、もしよけれけば、こんど詳しくご教授賜りますと幸いです。

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