曲直瀬玄朔(まなせ-げんさく)は、天文18年(1549年)に医聖・曲直瀬道三の妹を母として誕生しました。伯父の道三は名高い医師でありながら幼少期の記録が僅少ですが、この玄朔は道三以上に若い頃の動向は分かっておらず、幼い頃に両親を亡くして伯父のもとに引き取られたことが判明しています。
奇しくも玄朔を育てた道三もまた、父母を幼くして亡くして伯母に引き取られていた時期があったとされており、曲直瀬氏による道三流医学の継承者は二代に渡って親族に養育された共通点を有しています。
この玄朔を育てた道三には長男の守眞と娘の一男一女がいましたが、守眞に先立たれてしまい、道三は残った娘が生んだ孫娘を玄朔に嫁がせて婿養子とし、曲直瀬姓と家業である医学を皆伝しました。天正9年(1581年)のことです。
このように、実子による跡取りにこそ恵まれなかった道三でしたが、娘が生んだ男子の孫である守柏(翠竹院)を始め、孫娘の一人を妻にした門弟である正純、正純の未亡人の再婚相手である曲直瀬玄由こと寿徳院など婚姻によって曲直瀬の家と医術を伝承しており、玄朔もその1人でした。
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玄朔は町医者として医療活動に当たっていたらしく、玄朔は天正4年(1576年)から慶長11年(1606年)までに行った診療を『医学天正記』として診療録にしており、それには正親町天皇や天下人・豊臣秀吉とその一族(甥の秀次、側室の淀殿、嫡男の秀頼)だけでなく、毛利輝元、蒲生氏郷などの武家やその他多くの庶民に至るまでが記されています。
そうした玄朔がその手腕を発揮したのは、天正10年(1582年)夏に正親町天皇の皇子である誠仁親王が倒れてしまった時です。典医らが暑気あたりないしは神経過敏だと診立てていると、玄朔は酒毒によるものと見抜き、効果的な処方で親王を全快へと導きます。翌年には中風(脳卒中)で意識不明に陥った正親町天皇を治癒し、朝廷は玄朔を信頼して天正14年(1586年)に法印の位を与えました。
翌年には九州平定に参戦した毛利輝元を治療するために派遣され、文禄元年(1592年)にも、秀吉に随行して名護屋城へ赴き、朝鮮出兵で渡海した輝元を治療するために朝鮮へ渡っています。文禄2年(1593年)には帰国して秀次の診療を行っていた玄朔でしたが、長年ともに過ごした伯父にして養父、妻の祖父でもある道三を失います。更に不幸は続き、文禄4年(1595年)に秀次が自害に追い込まれると彼も連座し、常陸の佐竹義宣による預かりの身となってしまったのです。
玄朔が復帰、帰京できた時期には諸説があり、慶長2年(1597年)から同3年の期間に秀頼の番医として呼び戻されたとも、慶長3年に後陽成天皇の病を治療させるために
前田利家が罪を許して帰京させたとも言われています。また、彼が処罰されたことが発端となって曲直瀬一門は玄朔の同門である施薬院全宗のもとに結束が強くなったと言われています。
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そうした状況下でも玄朔は名医ぶりを発揮し、見事な漢方の調薬で天皇の治癒に成功し、黄金の花瓶と白銀1,000枚と言う莫大な謝礼を受け取り、更に名を高めたのでした。一方で、自分が猛反対されたお灸による施療を他の医者・僧が天皇に対して行うことが許された時には気分を害したらしく、彼は病室の障子に穴を開けてその様子を見ていたと言われています。
慶長13年(1608年)には徳川秀忠にも招かれ、江戸に邸宅を賜って将軍家にも仕えることとなり、2代目道三を襲名していたことから曲直瀬邸の北側にある入り堀は道三堀と呼ばれるようになりました。先述した施薬院の活躍に加え、徳川氏の典医にもなった玄朔の活躍は、後に医療の世界において道三流が主流となる契機となります。
しかし、彼が残した業績はそればかりではありません。先述した『医学天正記』には患者の症状や名前、年齢、処方に至るまで詳しく記している以外にも、これまでは高度な医療を受けることが少なかった庶民をも分け隔てなく診察していたことが記録されています。これらの記録は史料としての価値だけではなく、後世におけるカルテ・診療録に当たるもの、そして患者を差別しない“医は仁術”とする精神の萌芽であると言っても差し支えないでしょう。
こうした先進性を以て医療に人生を捧げた玄朔は、江戸と京都を往復して朝廷と幕府、すなわち公武に重用される典医として活躍を続け、寛永8年(1631年)に83歳でその生涯を終えました。
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参考文献(敬称略)
歴代天皇のカルテ 篠田達明 新潮社
(寄稿)太田
・大田先生のシリーズを見てみる
・曲直瀬道三とは 戦国の世を治療した医聖
・加藤忠広とは 薄幸の時代に生を受けた加藤清正の嫡男
・仁徳天皇 善政で名高き記紀神話の聖帝
・織田信広とは 後継者の座を得られなかった信長の異母兄
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