櫛橋光(櫛橋照)(くしはしてる)は、播磨国加古川の志方城主・櫛橋伊定(くしはしこれさだ、櫛橋左京亮伊定、櫛橋豊後守伊定)の娘で、1553年に誕生した。
1567年に、黒田孝高(黒田官兵衛)が、黒田家の家督を継ぎ小寺家の家老になると、小寺政職が嫁を世話し、小寺政職の姪にあたる櫛橋光が小寺政職の養女となり、黒田孝高(黒田官兵衛)の正室として結婚し、姫路城に入った。
黒田官兵衛22歳、光姫は15歳であったとされ才色兼備の大柄な女性であったと伝えられている。
婚姻の際、櫛橋家は「甲冑」を黒田孝高に贈ったという話が、櫛橋家に伝わっている。
1568年12月3日には、黒田長政(松寿丸)を産み、1582年には、黒田熊之助を産んだ。
黒田光の姉は、1560年に毛利方の赤松氏の一族である喜多村城主・上月景貞に嫁ぎ、その後2人の子を産んでいる。
※夫を赤松政範とする説もあったが近年の研究では否定されている。
1575年からは羽柴秀吉の取次で、黒田家は織田信長に近づき、主君・小寺政職なども織田氏に恭順するよう説得した。
1577年には黒田官兵衛は織田信長への人質として、9歳の嫡男・黒田長政(松寿丸)を織田家家臣の羽柴秀吉に預け、松寿丸は近江国長浜城で過ごした。
この頃から、黒田官兵衛は羽柴秀吉の軍師として行動を共にするようになったが、同年、毛利勢に味方した上月景貞が羽柴秀吉に敗れて自刃または討死すると、黒田光の姉やその子は、黒田官兵衛の陣を頼り、以後、黒田家で余生を過ごしている。
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1578年春、三木城主・別所長治が織田信長に反旗を翻すと、櫛橋伊定は別所氏に応じて約1000にて志方城に籠城。
織田信雄(北畠信雄)と明智光秀らを総大将に約7500の織田勢が志方城を包囲すると、櫛橋勢は何度か城から撃って出たが損害が激しい上、夏の暑いさなかで疫病(赤痢)も発生し、半数以上が戦えない状態に陥った。
また、別所長治も羽柴秀吉勢に三木城を包囲され、櫛橋伊定に援軍を送ることが出来なかった。
これまで播州の武士が経験してきた合戦と言うものは、双方せいぜい数百、大人数と言っても2000~3000の軍兵が己の武技と勇気を競って闘うもので、織田勢の圧倒的な物量と兵力、そして鉄砲などの火力・戦術には驚くしかなかったと推測できる。
櫛橋伊定は約20日籠城したが、8月に人質を出し、自分の命と引きかえに城兵の助命を願って羽柴秀吉に降伏し自刃したとも。
黒田官兵衛を通じて降伏が認められ、櫛橋伊定の命は許されたと言う説もある。(同じく抵抗していた神吉城・神吉氏は降伏が許されず、全滅している。)
櫛橋家の家臣らは播磨北部へと逃れ、多くの者が武士を辞めて帰農。櫛橋氏は、黒田官兵衛の家臣に加わることを織田信長に許されて、黒田家の家臣として存続している。
1578年10月、羽柴秀吉勢として出陣していた荒木村重が織田信長に反旗を翻し、本拠・伊丹城(有岡城)に戻り籠城。
羽柴秀吉は黒田官兵衛を荒木村重の説得に伊丹城(有岡城)に向かわせたが、黒田官兵衛は拘束され牢獄に投獄された。
一向に戻ってこない黒田官兵衛の事を、荒木村重方に寝返ったと見なした織田信長は、人質である松寿丸の処刑を命じ、羽柴秀吉は頭を悩ませたが、竹中重治(竹中半兵衛)の 機転により一命を助けられ、松寿丸は竹中半兵衛の居城・岩手山城下に匿われる。
やがて有岡城の陥落後に、黒田官兵衛は救出され、疑念の晴れると松寿丸は姫路城へ帰郷できた。
このように黒田官兵衛は本拠地を留守にすることが多々ある中、光姫は黒田家を内助の功で支えたのは疑う余地も無い。
黒田官兵衛が1589年に家督を嫡男・黒田長政に譲った。
石田三成との確執もあり、豊臣秀吉の死後、黒田家は徳川家康寄りとなる。
1600年の関ヶ原の戦いの勃発時には、石田三成が大坂に残っている大名の妻子を人質に取ろうとした。
明智珠(細川ガラシャ)が拒否して屋敷に火を放った際、石田勢の監視に乱れが生じたのを見計らって、黒田家の家臣たちは、黒田長政の正室・栄姫と共に、黒田光を領国の九州・中津城まで脱出に成功している。
夫・黒田官兵衛や息子・黒田長政は受洗しキリシタンとなったが、黒田光は浄土宗の信徒のままであったと言う。
1627年8月26日、享年75。照福院。
■年齢差
黒田官兵衛 1546年生
光姫 1553年生 - 7歳
黒田職隆 1524年生 +22歳
黒田休夢 1525年生 +21歳
栗山善助 1550年生 - 4歳
母里太兵衛 1556年生? -10歳
小寺政職 1517年生 +29歳
織田信長 1534年生 +12歳
羽柴秀吉 1537年生 + 9歳
竹中半兵衛 1544年生 + 2歳
荒木村重 1535年生 +11歳
・黒田官兵衛の詳細はこちら
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