明智秀満~本能寺の変を明智光秀が最初に相談した重臣


スポンサーリンク
スポンサーリンク

まずは明智秀満の「出自」からご案内したい。
出自は諸説ある。

明智秀満は当初、三宅弥平次と名乗っていた。その為、出自は三宅氏とする説がある。
明智光秀の家臣として三宅氏は複数の存在が確認できる。また明智光秀の叔父・明智光廉が三宅氏を名乗ったとも言われている。
明智秀満の父は三宅出雲、あるいは美濃の塗師の子、備前児島郡常山の国人・三宅徳置の子という説もある。

「明智軍記」などでは、明智秀満は明智氏の出身としている。
明智光秀の叔父である明智光安の子と、明智光秀とは従兄弟であり、別号として三宅氏を名乗った時期もあるとされている。

遠山氏説は、明智秀満の父・明智光安が美濃・明知城主である遠山景行と同一人物だとする説で、それを参考に遠山景行の子・遠山景玄が、明智秀満だとしている。
遠山景玄は1572年の上村合戦で討死しているとされ、矛盾点もあるが、遠山景行の妻が三河・広瀬城主の三宅高貞の娘であるため、遠山景玄の母に相当する三宅氏の跡を継いだとも考えられる。

 スポンサーリンク


いずれにせよ実名は明智秀満で、生年は1536年? 1557年? とも。
当初は三宅弥平次と称し、後には明智弥平次とも名乗っている。
また、別名としては明智光春、明智満春、明智左馬助(明智左馬之助)との名も。
幼名は岩千代、その後、改名して光俊とも? 他にも別名がある。

「明智軍記」によると、明智秀満は明智嫡流・明智光秀の後見として、長山城の父・明智光安に従っていたが、1556年、斎藤道三斎藤義龍の争いにて斎藤道三に味方した為、斎藤義龍勢に攻められ落城し、父・明智光安は自害するが、明智秀満と明智光秀らは脱出し浪人したとされる。

いずれにせよ、斎藤利三らと共に明智光秀の家臣として大きく貢献した。

荒木村重の謀反の折り、荒木村重の嫡男・荒木村次に嫁いでいた、明智光秀の娘・お倫が離縁し、坂本城に戻った。
明智光秀の重臣として仕えた明智秀満は、しばらくして、そのお倫を正室(継室?)に迎えている。
その後、明智秀満は明智姓を名乗ったのだが、文書的に確認できるのは1582年4月なので、その直前に結婚したとも考えられる。

1581年には、丹波・福知山城代。

1582年6月2日、明智光秀が本能寺の変を起こし、織田信長を討つ際には、明智秀満が先鋒となって本能寺を襲撃した。

明智光秀が、織田信長を討つ際に最初に相談したのが、この明智秀満だとされ、その際には思い留まるよう説得した。
しかし、その後、斎藤利三など、他の家臣にも相談した結果、皆、同じ意見だったので思い留まったと明智光秀が話すと、一転して織田信長を討つことを主張した。
理由としては、複数以上の者と相談したとなると、いずれ「織田信長の耳に入る」ことを懸念し、そうなる前に実行した方が得策だと言う事である。

本能寺の変じたいは成功をおさめたが、その後、羽柴秀吉が迫って来た際には、山崎の戦いには参加せずに、柴田勝家滝川一益らの備えとして、安土城を守備。

しかし、山崎の戦いで明智光秀が敗走したと聞くと、後詰めとして出陣し、出浜まで進出していた堀秀政と合戦となったが敗れて、明智勢の本拠地・坂本城に退いた。

その坂本城も、堀秀政勢に包囲されると、明智秀満は、明智光秀が所有していた天下の名物・財宝をまとめて、目録を添え、天守閣から敵勢のいる所に降ろし、明智が私利私欲の為に織田信長を討ったのではない事を証明した。
 
「寄せ手の人々に申し上げる。堀監物殿にこれを渡されよ。この道具は私物化してはならない天下の道具である。ここで滅してしまえば、この弥平次を傍若無人と思うであろうから、お渡し申す」と叫び、宝物を引き渡したと言う。
その後、堀直政・堀秀政が「目録の通り、確かに相違ござらぬ。しかし日頃、光秀殿が御秘蔵されていた倶利伽羅の吉広江の脇差がござらぬのは、如何いたしたのか」と返した。
すると「その道具は信長公から光秀が拝領した道具でござる。吉広江の脇差は貴殿もご存じの如く、越前を落とした際に朝倉殿の御物奉行が身に差していたもので、後に光秀が密かに聞き出し、これを求めて置かれたもの。お渡ししたくはあるが、光秀が命もろともにと、内々に秘蔵されていたものなので、我が腰に差して、光秀に死出の山でお渡ししたく思う。この事は御心得あれ」と明智秀満は返事し、掘秀政・堀直政らも納得したと言う。

そして、1582年6月15日の夜、明智秀満は光秀秘蔵の脇差を差したまま、明智光秀の妻子、並びに自らの正室を刺し殺しあるいは介錯し、自ら坂本城に火を放って自害したとされる。 享年は俗書に従えば47。享年26説も?
同年に処刑された明智秀満の父(名は不明)は享年63とされる。

徳川家康の側近・南光坊天海が明智光秀とする説があるが、明智秀満であると言う説も存在する。

遠山景行と上村の戦い~美濃・遠山氏の存亡をかけて
美濃・明知城と千畳敷砦にある光秀産湯の井戸~明智光秀誕生の地なのか?
織田信長と言う人物に迫る~【織田信長】の性格・人柄は?
安土城~それは織田信長が天下に示した最新のアトラクションだった
堀秀政~かなり有能な武将なれど注目されていないのはもったいない?
本能寺のあと明智光秀に従った京極高次と武田元明
天下分け目の山崎の戦いと勝竜寺城~明智光秀は遠慮して負けたか?
天海とは~徳川家の参謀として暗躍した生涯と川越の喜多院の見どころ

スポンサーリンク

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

 スポンサーリンク

気になる戦国女性

  1. 吉岡妙林尼(よしおか-みょうりんに)の生い立ちは良くわかっていませんが、父は林左京亮、又は丹生正敏(…
  2.  1547年?に誕生した「おね」は、尾張国の杉原定利の娘(次女)で、母は朝日殿。  生まれてす…
  3.  お市の方は、1547年?に織田信秀の娘として誕生した。呼称としては、市、お市の方、市姫、小谷の方(…

人気の戦国武将

  1. 長篠城を包囲した武田勝頼に対して、徳川家康・織田信長が38000の援軍を派遣すると、武田勝頼が120…
  2. 実際の山本勘助 武田家は滅んだ大名のため、武田家に関する資料は多く残されていない。 武田氏の…
  3. 戦国時代を制して平和な江戸時代をもたらした英傑・徳川家康。 戦国の世に生まれ、今川義元の人質であり…

オリジナル戦国グッズ

限定「頒布」開始しました。無くなり次第終了です。
戦国オリジナルバック

 スポンサーリンク
当サイトでは
Android app on Google Play
↑ アプリ版もあります

戦国グッズ通販

実際に鉄板も使用した本物志向「高級」甲冑型の携帯ストラップ
甲冑型ストラップ

甲冑型ストラップ

戦国武将「Tシャツ」や「スウェット」その他もあり。
戦国武将シャツ

戦国浪漫「戦国グッズ」通販

メールでお知らせ

新規記事追加をメールで受信可能。

ページ上部へ戻る