大阪城の訪問記と大阪の陣~豊臣家の史跡がある場所、大角与左衛門も

大阪城は、言わずと知れた豊臣秀吉が築いた居城です。
元々は、石山本願寺があった場所ですね。
ページの最後には大角与左衛門の話や、大阪城へのアクセス方法や駐車場の場所なども記載しておきます。

1580年の石山合戦で本願寺顕如の石山本願寺が焼失し、その後、織田信長の命で丹羽長秀に預けられました。
本能寺の変のあとには、清洲会議池田恒興に与えられ、その後、池田家が美濃に国替えとなると、以降は、豊臣秀吉が大坂城を築き、豊臣政権の本拠地となりました。

大阪城

初代の築城総奉行は黒田官兵衛(黒田孝高)でして、縄張(設計)を担当したと言います。

大阪城

豊臣秀吉の死後、石田三成関ヶ原の戦いで敗れ、徳川家康が1603年に江戸幕府を開きますが、大阪城の豊臣秀頼は摂津・河内・和泉を支配していました。

しかし、1614年、大坂冬の陣で徳川家康らの大軍に攻められ、篭城戦を行います。
この時、豊臣家は後藤又兵衛浪人を雇い、真田幸村真田丸で活躍します。

大阪城の真田幸村勢のイメージ

戦いは和議となりましたが、惣構・三の丸・二の丸が破却されて、大坂城は内堀と本丸のみを残す「裸城」にされてしまいます。
その為、豊臣秀頼は堀の再度構築しようと試みますが、これを講和条件の違反とみなされ、4か月後の1615年に大坂夏の陣となりました。

大阪城

豊臣秀頼・淀殿自害の地の碑

豊臣秀頼・淀殿自害の地の碑

豊臣秀頼や淀殿が自害したとされる地に建つ石碑。
大阪城公園北側の極楽橋から入り、天守閣に行く直前(刻印石広場)の階段の脇(左手、東側)にあります。

淀君並殉死者三十二名忠霊塔

淀君並殉死者三十二名忠霊塔

淀殿らと共に殉死した方々の慰霊塔です。
真田幸村の嫡男・真田大助の名前も入っています。
32名も殉死したなんて驚きですね。

大野治長、大野治徳、速水甲斐守時之、速水出来丸、毛利勝永、毛利長門、高橋半三郎、高橋十三郎、津川親行、竹田永翁、堀対馬守、武田左吉、森島長意、伊藤武蔵守、土肥勝三郎、真田大助、萩野道喜入道(氏家行広)、寺尾勝右衛門、和期の局、大蔵卿の局、宮内卿の局、右京大夫局、玉の局、饗庭局です。

自決の碑から反対側の場所にあり、ちょっとわかりにくいです。
刻印石広場を右手(西側)にある石垣に向かって行くとわかります。

豊國神社

上記写真は豊臣秀吉を祭る豊國神社です。

大阪城に火を放った台所頭の裏切者?

大角与左衛門(おおすみ-よざえもん)は、台所で魚や鳥などを洗っていた下男を豊臣秀吉が料理人に取り立てたとされています。
豊臣秀頼の代になると、大阪城の台所の責任者である「台所頭」となっていました。

大阪夏の陣にて、大阪城が焼け落ちた原因は、誰かが火を放ったとされています。

大道寺友山が江戸時代の1720年頃に書いた「駿河土産」と言う随筆に、関ヶ原の戦い戦い以降、徳川家康が死去するまでの話があります。
その中に、大阪城であちこちに顔を出していた、台所頭・大角与左衛門が謀反して1615年5月7日、自分の手下に言いつけ、大阪城の大台所に火を付さたとあります。

実際に大阪城では、内通者によって火の手が天守に上がり、5月7日深夜に陥落しました。

その後、大角与左衛門はこの寝返りを手柄として、徳川家の旗本に取り立ててもらいたいと願ったようですが、そのうちに病死したとあります。
のちに、この事が徳川家康の耳に入ると、その者は、大阪冬の陣で和睦した際に、豊臣秀頼の母・茶々(淀殿)の使いてとして、茶臼山陣に来た者だと述べたとあります。
太閤(豊臣秀吉)が下男から取り立てたのに、恩知らずで不届者であり「憎いやつ」と言い放ったともあります。


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大阪城へのアクセス

大阪城への最寄り駅は、大阪城のどの場所?、堀の所か、天守閣がある所か?、門があるところか?などにより一概に言えません。
そのため、通常であれば、大阪城の周りにある駅「大阪城公園駅」「森ノ宮駅」「大阪ビジネスパーク駅」「谷町四丁目駅」「天満橋駅」のどこもが最寄り駅と言えます。
ただし、大阪城を「見学しつつ天守へ行く」と言う意味ですと南側の駅、すなわち「谷町四丁目」か「森ノ宮」がお勧めです。
そして、都合が悪く無ければ、帰りは北側など、来た道とは別の方角の駅に向かう事をお勧めしたいと存じます。

大阪城の駐車場

大阪城の駐車場は南側にあります。
下記のポイント地点が有料駐車場の入口となりますが「左折」でしか入れませんのでご注意を。
そして公園内をちょっと周りこむような形で走って行った先にゲートがあります。

なお、駐車場に車を止めたて天守へ向かった際には、行きの道と別の経路にてグルッと周る形で駐車場に戻られることをお勧め致します。
色々な方角から大阪城を望むことができると思います。

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